「日台戦争」・「台湾征服戦争」が「戦争」であることの妥当性 番外編(2)(本田善彦『台湾総統列伝』)

■?について■
 次に、日台戦争」(「台湾征服戦争」)という表記の妥当性の問題です。先述したとおり、学術的用語の問題ですので、台湾の人々が聞いたことがない云々等は、大きくは関係しません。また、「日台戦争」という用語を、この事件に対して使うことの妥当性の問題ですので、造語やら新語やら論文検索云々などは、ここではあまり重要ではありません。
 再び、wikipediaの「NHKスペシャル シリーズ 「JAPANデビュー」」の項目によると、

プロジェクトJAPANの公式サイトに記された見解では、「1995年、『日清戦争百年国際シンポジウム』から使われ」始めた用語であるとの説明と、文献3点が示された[36][66]。また台湾「平定」に際して日本軍の死者が5000人に上った[67]ことに着目している。

とのことです。
 これに対して、産経新聞や「日本李登輝友の会」が「4000人以上はマラリアによる病死であり「戦死」者と言えるのか」という批判をしているそうです。「治安回復のための掃討戦に過ぎない」という批判もあるとのこと。では、検討をしましょう。

 その1、 病死者が多数だと「戦争」と呼ばれないのか?
 まず確認したいのは、この「日台戦争」が、日清戦争全体において、日本軍の死者の半数を出したということであり、途中で、「大本営の関与の仕方、戦闘の主体が清国軍ではなく台湾民主国及び自主的に組織された義勇兵に移ったこと」です(wikipedia「乙未戦争」項目)。しかも、「台湾民主国」側の死傷は1万4千人程度、その後の「平定」と抵抗運動により死者は倍以上に増えました。

日本軍の死者の数も9600人(うち病死7600人)と、下関条約締結までの戦没者8400人(うち病死7200人)を上回った戦闘であった(高橋典幸ほか『日本軍事史吉川弘文館、2006、326頁)。

という「不可解なNHKバッシング(2)日台戦争 」(『安禅不必須山水』様)の一文を見れば、本件の是非は明白です。下関条約までの戦没者より、下関条約以降にあった台湾での「戦争」の方が死者の人数は多く、しかも、下関条約以前のものでも、病死者の割合は十分高いのです。要するに、病死者の割合云々は、「戦争」であることを否定する材料にはなりません。

 その2、 「治安回復のための掃討戦に過ぎない」のか?
 上記記事「不可解なNHKバッシング(2)日台戦争 」でのコメントにおいて、「leny さん」という方が以下のような発言をされています。

「薩英戦争」「馬関戦争」「戊辰戦争」「会津戦争」「函館戦争」は、それぞれ政府(行政組織)と軍隊を持ち、開戦・停戦を結ぶ「国」が存在しています。NHKが「日台戦争」の当事者として想定している「台湾民主国」は、便宜上の形式的な「国」で、あくまでも清国官僚の抵抗でしかありませんでした。形式的な政府機構を作りましたが官僚機構が機能していませんし、軍隊は傭兵です。そのコントロール化にない民衆蜂起とは別の存在でしょう。

 いざ、検証してみませう。行政組織、官僚機構、構成員による軍、というのが焦点と仰りたいようです。んじゃあ、西南戦争はどうでしょうか。官僚機構などあったかどうか。蝦夷共和国」は、形式的な「国」じゃあないのでしょうか。
 もっというと、西欧の三十年戦争を想起すればいいのでしょうが、傭兵を使っても戦争は戦争です(国民国家同士の戦争だけが戦争ではありません)。あと、国民軍云々を言うなら、蝦夷共和国」の軍隊が、地元住民をどの程度含んでいたかも、検討すべきです。向山寛夫『日本統治下における台湾民族運動史』の、「広く軍官民と各層各派の住民が参加した民族総抵抗としておこなわれた」という一文を引用した、「[植民地]「日台戦争」と呼ぶのは誤りか」(『日本近現代史と戦争を研究する』様)のhigeta様のコメントも参照しましょう。
 後は、「シリーズ・JAPANデビュー 第1回「アジアの“一等国”」に関しての説明」(【NHKオンライン』様)のいうように、下関条約以降も、大本営が、「台湾」の抵抗が圧せられるまでのあいだ継続していたこと、そして、初代台湾総督・樺山資紀や当時の首相伊藤博文がこの戦いについて、「外征」という認識を示していたことも、考慮されるべきでしょう。
 仮に、当時の日本政府がこの「戦争」を、「外征と見なすのは恩給などの待遇を「事実上=実際の状況」に合わせて改善するため」であって、実際は「日清戦争の延長、あるいは一部」にすぎないと考えていたとしても、今回の結論に揺らぎはありません。それは、上のほうで論証したように、この台湾での「戦争」規模がとても「延長、あるいはその一部」とは到底認めがたいものだからに他なりません。当事者の意識を、その戦争の客観的数字が上回っている、というのがその理由となります。

 その3、 まとめ
 上記より、戦闘の規模も併せて考えれば、「戦争」という表記は問題ない(妥当である)と思われます。すなわち「掃討戦」という規模にはおさまらない、ということです。ゆえに、「台湾平定」や「台湾征討」等の戦闘規模を考慮しない表記は、妥当とは認めがたい、ということです。
 本ブログでは、「戦争」であったことを確認したいだけですので、「台湾征服戦争」でも「日台戦争」でも構いません。「日台」とする場合、当時の人々に「台湾人」というアイデンティティがあったかどうかが論点となりますが、この点については今回は論じません。この問題については、本ブログ「台湾のアイデンティティと、中国共産党の存在 本田善彦『台湾総統列伝』(3)」の(注2)もご参照ください。

(続く)


(追記)
 前掲記事「[植民地]「日台戦争」と呼ぶのは誤りか」にて、「論理的には日台戦争と呼んでも問題ないのかも知れないが、準国営の放送局がいきなり、殆どの日本人にとって耳慣れない言葉を注釈無しに使うってどうなんでしょうかね。」という主張に対して、ni0615様が、「日台戦争と呼んでも問題ないのなら、殆どの日本人にとって耳慣れない言葉でも、放送局はどんどん使うべきです。教科書と放送局の違いを考えてください。新しい知識、新しい概念、新しい文化を紹介しなくなったら、放送局の存在理由がなくなります。それこそ受信料不払い運動が広がるでしょう。」と返答されています。公共放送とは、「常識」や「俗情」に阿るための放送機関ではないということです。勉強になりました。


(さらに追記) 本稿の続きとして、「「日台戦争」あるいは、「芸」のためのガイドブック 特別番外編(0)(本田善彦『台湾総統列伝』)」を書きました。お時間のある方はご覧ください。


(より一層・追記)
> 山崎様
 質問をいただきましたので、めんどくさいですが、応答しようと思います。
 たぶん、higetaさんにカキコしていた、「ころはる」様と同一人物でしょう。「2010/04/04 15:03」と、「2010-04-04 15:14」。この記事を、長くても11分程度で読まれたご様子です。素晴らしい速読・読解力です。その読解力に見合った中身がスカスカな質問をいただいたことにお礼申し上げます。
 論点は二つ、?自治政府を持つレベルの集団同士でなければ、「戦争」という用語は使えない、?「戦争」の語は、あくまでも国家間の戦闘状態に対して用いるべき、という二点だと思います。
 また、「下関条約もありますし」などと、教えろという割には抽象的であいまいな質問をしてくださったことに対して、怒る気持ちは一切ありません。これは、清朝と日本政府が戦争終了にサインしたのだから戦争は終わりじゃないか、という主張だと思います。つまり、?がそれにあたるはずです。
 で、?については、例えば、ttp://d.hatena.ne.jp/higeta/20090701/p1 をご参照ください。少なくとも、「社会学的な意味においては、戦争とは、かなりの規模の軍事力によって行われる政治集団間の対立」であるという定義は存在しており、この意味においては十分妥当です。ゆえに、?はクリアできます。国家同士でなくてもいいのです。
 「アルジェリア独立戦争」の件を考えれば、主権国家同士のものでなくても、「戦争」の語を使うことは可能です。『Apes! Not Monkeys! はてな別館』様の「一つの事例として」(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20091113/p1)は、ご覧になりましたよね?
 で、次に?ですが、そもそも、「自治政府」とは何か。これ自体があいまいで、質問に答えるのも難しい限りです。自治政府」の定義を、「国家」の定義をゆるくしたものとして、考えることにしましょう。
 果たして、台湾民主国(及び当時の台湾)は、「自治政府」と見なしうるのか、「戦争」の語を用いるのは妥当か否か。
 考えられる反論は二つ。A,傀儡政権であり、自治政府ではないので、これは「戦争」とは呼ばれない。B,傀儡政権とは厳密には言えないが、自治政府ではなく、国家とは呼べない規模・資格の集団にすぎないので、これは「戦争」とは呼ばれない。以上を想定します。
 Aの場合、傀儡政権ということは、実質糸を引く存在がいることになります。この場合それは、清朝であることになります。清朝を主権者とすれば、これは、国家同士の争いとみなすことになりますが、ただし、清朝はそれを下関条約で否認しています。(ただし、宣戦布告なしでも「戦争」の語を使いうる以上、この時点で「戦争」の語を使えなくもありません。)
 次にBを検討します。Bの場合、主権・領土・国民・他国からの承認という、「国家」認定基準を参照します。これを、自治政府かどうかの測定基準として用います。このとき、台湾民主国は、主権のみは満たしています(傀儡政権ではない以上)。
 国民に対しては、多くの住民を「国民」のメンバーとして包摂していないとの反論もありうるのですが、それは西南戦争や函館戦争もおなじです。領土についても、同じことです。
 他国の承認をついに受けられなかった点をもって、論駁される可能性があります。ただし、「確認的効果説」(他国が承認しなくても、上記三条件がそろえば、国際法上の主体であることを否定しない説)を取れば、十分3条件を満たす限りは、これもクリアできる可能性はあります。
 さらに、「トランスニストリア戦争」の事例を考えれば、ほとんどの他国がその国(沿ドニエストル共和国)を承認していなくても、「戦争」の語を用いうることは不自然ではありません。以上から、自治政府であってもなくても、「戦争」の語を使うことには、十分な妥当性があると考えられます。
 この戦争が「本当の意味での独立では」なく、「下関条約に違反するため、清朝の名義で日本に抵抗することができなかっただけのこと」という反論が存在していますが、これも「トランスニストリア戦争」の事例を考慮すべきでしょう(李筱峰「「台湾独立」の歴史的変遷」『『週刊台湾通信』 』様) 。
 それは、以前から重要と述べてきた「戦争規模」という要素も加味することで、より説得的な主張となるはずです。
 今度からは、もっと時間をかけてから、人のブログにコメントを書きましょう。せっかちな人は嫌われます。

(2010/5/18 一部更新)