リフレ政策、あるいは、貨幣の代替品が存在するか、という話 小島寛之『容疑者ケインズ』(2)

■貨幣がもたらす、「決断の留保」という甘い毒■

 その多機能性こそが「貨幣」の魅力なのであるが、その機能の使い方を一歩間違えると、社会に災いをもたらす「疫病」のような存在にもなりかねない (67頁)

 優柔不断という甘美な果実を与えてくれるからこそ、貨幣を保有するのである。しかし、そんな雲をつかむような形のない誘惑こそが、資本主義を不況という地獄に導く悪魔のささやきにほかならない (135頁)

 決断を留保させてくれる、先の方まで延ばしてくれる、素敵なもの、それが貨幣。
  人は消費します。しかし、確率さえ計算できないような消費をせざるを得ないのです。ああ、アレを買って置けばよかった、こんなもの、買わなきゃよかった。ジュース一本から、一軒家購入まで、こんなものはたくさんあります。人は、完全な情報を持つことは出来ません。情報不足ゆえに人はためらうのです。

「人々は確率のわからない環境を、わかっている環境より嫌う」と解釈することができる (77頁)

 著者は、「ナイトの不確実性」とその数理的応用について述べた後、このように言及しています。 
 貨幣を持つことで、人は決断を先延ばしにしたがります。ああ、留保することの甘美さ。
 しかし、その決断の留保によって、貨幣の流れは停滞し、各々主体が、取引する機会(チャンス)は消えていってしまうのです。個人の決断の留保という甘美さは、経済全体にとっての毒なのです。

■リフレ政策、あるいは、貨幣の代わりに流動性を担うもの■
 解決方法としては、例えば、クルーグマンのベビーシッター・チケットの例えが、使えるでしょう。人々が、消費を抑制して、貯蓄を図っているならば、チケット(貨幣)を多く市場に流通させればよいのです。リフレ派なら、まずこう考えるでしょう。
 では、著者・小島氏の意見はどうか。彼は、小野善康先生の意見に賛成しています(「恐怖のリフレー・ザ・グレートの巻」『hiroyukikojimaの日記』様)。
 小野氏は、インタゲ成功には、次の条件が必要だといいます。

(1) 中央銀行完全雇用になったあとも高い貨幣拡張率を継続すると信じる。
(2) 一致して物価予想を完全雇用に向かう経路に変え、それに合わせて消費を実際に増やす。
(3) 貨幣以外に流動性の効用を満たすものがない。

 この条件において問題にしているのは、「貨幣の魅力(流動性の供給)を落としても、流動性への欲望(流動性への需要)が消えるわけではない。それどころか、流動性への欲望が満たされなくなって貨幣の代用品を探そうとするから、消費はかえって減ってしまう」という点です。 (3)の点を、とても、心配されています。「貨幣以外に流動性の効用を満たす」ものがあるんじゃないか、というのが、小島featuring小野 の意見ですね。
 この意見に対して、稲葉先生の反論(「今日も平和な経済学村」『インタラクティヴ読書ノート別館の別館』様)。「貨幣の役割を果たすのは貨幣だけではな」く、「ある種の資産が疑似貨幣として流動性の担い手となる可能性」がある、というけれど、これについてはリフレ派は楽観的です。そう反論しています。
 特に実証はしていませんが、確かに、「ある種の資産が疑似貨幣として流動性の担い手となる」ことは、歴史的に前例がないのも事実でしょう(ハイパーインフレのときくらいか?)。かろうじて前例としてありそうなのは、金属の「金」だけど、もし万一これが「貨幣の代用品」になろうとしても、流通量に限界があると思います。愚見に過ぎませんが。(前にもこの類の議論があった様な気もしますが)
 もっとも、小島氏の考えの根源には、「市場メカニズムって、そんなに単純なものだろうか、という疑念が今だに払拭できないでいる。」という市場不信があるわけですから、全ては金融政策への信頼の問題に還元されるのかもしれません。(注1)


(注1) この件に関する適切なツッコミが、あります。記事「小野善康「不況のメカニズム ケインズ『一般理論』から新たな「不況動学」へ」」(『ラスカルの備忘録』様)です。

適切な中央銀行量的緩和や低金利政策へのコミットメントを行っても、(流動性プレミアムは低下せず、)民間投資は拡大しないとする点。その背景には、流動性はいくら増えても飽和することはないとの見方と、期待の効果への軽視がある。期待を重視する立場からすると、公共事業は非自発的失業がある中にあっても将来の増税に対する懸念からその効果は小さく、マクロ経済政策は金融政策が中心となる。

 批判点は、?小野先生、市民諸君はどんだけ流動性への期待をもってるんですか、持ちすぎでしょ、さすがに投資に回るって、?公共事業やっても、みんなあとで「増税」になって帰ってくるって思っちゃうでしょ、金融政策にしときなよ、という二点です。
 ?については、既に、前回(1)で似たことをこちらも書いています。で、?ですが、確かに小野先生の想定だと、市民諸君はいったいどんな世の中を生きているんでしょうか。ちと非現実的です。
 貯蓄の理由・原因はもちろん、「決断の留保」という甘い毒のためだけではありません。失業への恐れ、健康への不安、将来の養育費、老後の心配、そういったものも関係します。こういったところを最低限度は社会全体で保障する、そうすれば流動性プレミアムは低下するでしょ。雇用増大もいいけど、こういうところも、よろしくおねがいします。
 以上、リフレ政策成功には、実は社会保障も重要かもしれない、という話でした。
 
 (追記) つーか、社会保障と雇用とによる支えあいというのが非常に重要なのです。雇用は、諸々の社会保障制度によって補完される一方、社会保障は、雇用を背景とする税金によって支えられるのですから。というわけで、この手の議論では、宮本太郎『生活保障 排除しない社会へ』が、絶対に必読でしょうね。
以上、2010/8/14 追記