小泉政治を振り返る(但し、何故か2003年の書物を使ってw) -政策的な節操のなさと、制度への無関心-

 大嶽秀夫『日本型ポピュリズム』を読む。
 2003年の書物。
 所々面白い。



 小泉純一郎は、実は、外交や防衛問題に殆ど関心のない政治家である(91頁)。
 例えば、彼は、岡崎久彦(元駐タイ大使)からのレクチャーで、集団的自衛権の問題を聞いている。ただし、このときにわか勉強だった。
 何と、2001年の出来事である。
 こんなんだから、イラク派兵問題での「自衛隊のいる所が非戦闘地域」発言も生まれたわけですな orz



 小泉は、首相就任以前は、タカ派といいがたい側面がある(92頁)。
 1990年には、湾岸戦争のとき、自衛隊の海外派兵に批判的だったし、外務官僚にも厳しい質問をしている。
 さらに、1993年のカンボジアPKOの時も、文民警察官が殺傷された事件を受け、撤退論を強く主張している。しかも当時、郵政大臣という閣僚だった。
 「国連常任理事国入りを考える会」の会長だった時期には、常任理事国入り阻止を主張していた(それがこの会の目標だった)。
 まあ、その後の「転向」を考えると、実際は「外交や防衛問題に殆ど関心のない」だけかも。



 著者は、小泉が「制度そのものを批判するのではなく、あくまで「本人の判断」のレベルで思考している」と述べている(101頁)。
 彼が世襲議員で、子分を作る必要性もなく、金集めにも苦労せず、大都市を地盤にしていたから利益誘導の必要も少ないということも、その背景にあると著者は指摘する。
 確かに、小泉の"後先の考えなさ"は、制度への無頓着に根があるように思う。
 "制度の複雑さ"というものを考えないから、制度を変えたことによる副作用にも目が行かず、結局は、「政治家当人がしっかりすれば大丈夫」的な考えで済ましてしまうのだろう。



 ポピュリズムについて、著者は、"「エリート()既得権益)」と「普通の人々(庶民)」の二元論を設定し、後者の味方をして政治的歓心を買うこと"だと定義している。
 ポピュリズムを、脇目も振らぬ"既得権益批判"とするなら、公務員叩きは、まさにポピュリズムの典型というべきだろう
 
 ちなみに、これはレーガンも勿論そうであるが、実は、パパ・ブッシュクリントンも、この二元論で政治的支持を調達しているという(117頁)。
 まあ、クリントンもそんな感じだったかな。

 ちなみに、レーガンの場合、「支持層の利益に反する政策を追求しつつ、そして「敵」とされるエスタブリッシュメントの利益を増進しつつ、最後まで高い支持率を維持し続けるような離れ業」をしたという(128頁)。
 永井陽之助によると、確か、ジョンソン大統領も似たことをしていたはず。(『多極世界の構造』とかに書いてあったよ。)
 で、小泉の場合、菅原琢『世論の曲解』によると、地方の支持も結構あったらしい。
 なので次のように言えるかもしれない。
 「小泉は、支持層(都市)の利益にのっとった政策を追求しつつ、そして非支持層な地方の支持も、"改革"を旗印に得つつ、自身の退任まで高い支持率を得た」、と。
 レーガンとはむしろ逆な感じですな。



 田中真紀子が、外交政策に無関心で勉強もしなかったことも書かれている(176頁)。
 彼女の素行の悪さについても触れられている。
 その一方で、彼女が、米国のミサイル防衛計画に批判的だったこと、靖国神社参拝に批判的だったこと、中国に同調的だったことも、きちんと記してある(180頁)。
 そういえば彼女、実は、「サヨク」受けのいい政治家ではあったのだ(まあ、実際にどの程度の支持があったかは、知らないけど)。