「千島のおくも おきなわも 八洲のうちの まもりなり」、近代日本の帝国主義と「蛍の光」 -伊藤公雄ほか『唱歌の社会史』を読む-

 伊藤公雄ほか『唱歌の社会史』を読んだ。

唱歌の社会史: なつかしさとあやうさと

唱歌の社会史: なつかしさとあやうさと

 

 内容は紹介文にある通り、「『唱歌』という、今までにはあまり類のない視点から読み解く日本近現代史」であり、

今も人々に愛唱されている唱歌の数々を例示しながら、唱歌の成り立ち、植民地政策のなかで歌われた歌詞、戦後の占領政策のなかで黒塗りされた軍国的な歌詞、また官製の唱歌に対抗した『童謡』などをいとぐちに、国文学、社会学、法制史学、また詩人の立場から、近代日本の社会史を広くみていきます

という内容である。
 唱歌に興味のある人、あるいは、日本の近現代史に興味のある人は、読んでみてほしい。

 以下、特に面白かったところだけ。*1

蛍の光」と帝国主義

 『蛍の光』を研究していて、一番衝撃的だったのは、沖縄に行き、第二次世界大戦における沖縄地上戦の激戦地に建立された『平和の礎』を訪れたときのことです。 (60頁)

 記念公園の中にある「沖縄県平和祈念資料館」を見学すると、その最初に唱歌蛍の光」と軍国主義との関係を告発する展示があったという。
 実際、「蛍の光」の4番の歌詞が問題であった。

千島のおくも おきなわも やしま(八洲)のうちの まもりなり いたらんくにに いさおしく つとめよわがせ つつがなく

 その後、大日本帝国の領土拡張にあわせ、文部省の手で「蛍の光」は何度か改変されている。*2

 一方朝鮮半島では「蛍の光」のメロディーは、抗日愛国歌として歌われた。*3

単純な「別れの歌」ではない

 国への忠誠を求めた国家義的な歌詞です。曲はやさしいけれども、この詩はとても勇ましい。この歌詞のままでは、戦後の「蛍の光」の拡がりはありえなかったでしょう。 (124頁)

 再び、「蛍の光」の4番の歌詞についての話である。*4
 大正期には、この歌詞が普通に受け止められており、当時の人々は到底、「別れの歌」と単純化することはできなかっただろうという。
 そして、ドラマ「マッサン」のような描写は当時現実には無理だっただろう、と著者は指摘する*5

口語化と帝国

 定番となった歌の改作まではしていなかったのです。しかし、いよいよ戦争が始まったときに、一気に口語に統一していったのです。 (151頁)

 「春の小川」は1942年に口語に変更になった。*6
 口語はわかりやすいが、そのわかりやすさを、兵隊の予備軍として少国民を育成するために使った時代があったのである。*7

 

(未完)

*1:引用したのは結果的に、すべて中西光雄執筆・発言部分だけであることを、あらかじめお断りしておく。ちなみに、中西氏は中西圭三の兄上であり、本書にも弟が登場している。本書は中西圭三ファンの人もぜひどうぞ。

*2:

琉球処分によって、琉球藩を日本に強引に編入沖縄県としたのは一八七九(明治十二)年のことであった。稲垣が、音楽取調掛に任命され、唱歌の作詞に着手したのは 一八八〇(明治十三)年のことだから、実に血なまぐさい政治的ニュースを唱歌の歌詞に詠み込んだことになる。 (略) やがて「蛍の光」四番出だしの歌詞は、台湾で歌われるべく「千島のはても台湾も」と、日本の植民地支配の実態にふさわしい歌詞に改変され、一九〇五(明治三十八)年のポーツマス条約で北緯五十度以南の樺太が日本領となった後に「台湾のはても樺太も」とさらに改変された。

以上は、永澄憲史「唱歌の社会史 なつかしさとあやうさと」からの、中西光雄『「蛍の光」と稲垣千頴』の孫引きである。なお、永澄は、本書の著者の一人でもある。

*3:実村文によると朝鮮半島での「蛍の光」の扱いは以下のとおりである(「英詩における賛美歌・聖歌・民謡」https://ci.nii.ac.jp/naid/40005885655 )。

朝鮮半島では,「蛍の光」のメロディーにまったく別の歌詞がつけられ,なんと抗日愛国歌として歌われていたのである。 (引用者略) 「蛍の光」改め「愛国歌」は,現在でも韓国で唱歌として親しまれており, 日本においてと同様、この歌がスコットランドに起源をもつことなど,あまり自覚されていないそうである。むしろ, 韓国のナショナリズムを代表する歌として,「韓国映画では, 日本の要人を暗殺する場面で必ずと言っていいほど使われるテーマ音楽」になっているという

*4:なお、「蛍の光」の作者である稲垣千穎については、本書著者の一人・中西光雄の手になる丁寧な解説が、本人のブログにあるのでぜひご覧いただきたい。「蛍の光の作詞者 稲垣千穎」http://mid-west.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_e65a.html 

*5:ブログ・「たーさんの公私記ブログ」によると、件の連続テレビ小説の、「第21週~22週では、一馬の出征にあたり、『蛍の光』とその原曲である『オールド・ラング・サイン(Auld Lang Syne)』を歌うシーンが度々登場」するとのことである。なお、「スコットランド在住の方に質問したところ、出征の際には『オールド・ラング・サイン』は歌わないであろうという回答でした。一般的には新年を迎えるときやパーティーの締めに歌われるそうです」とのこと(以上、http://tarsan.txt-nifty.com/official_note/2015/03/post-3c31.html を参照した。)。

*6:レファ協http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000244413 によると、

「春の小川」は高野辰之作詞、岡野貞一作曲。1912(大正元)年12月15日刊行の『尋常小学校唱歌 第四学年用』所載。1942(昭和17)年3月30日刊行の『国民学校初等科音楽(一)』収録の際、国民学校初等科3年では、口語体でなくてはならないと、文部省が林柳波に命じ改作した。

とのことである。参考にされた文献は、レファ協の当該ページを参照。

*7:ところで、

「すみれ」や「れんげ」は春の季語でも、「めだか」は夏の季語である。「春の小川」という言葉から春の情景であることは間違いなく、もはや季語に固執せずに作詞を行っていることが窺える。

と、佐藤慶治は指摘している(「明治期の唱歌歌詞における「日本の美」 : 季語とナショナル・アイデンティティhttps://ci.nii.ac.jp/naid/120006502444 )。たしかに、メダカの季語は夏である。