大正末という時期の朝鮮人は、京城師範学校出身者のなかですら蔑視の対象だった -山口輝臣(編)『日記に読む近代日本〈3〉大正』を読む-

 山口輝臣(編)『日記に読む近代日本〈3〉大正』を読んだ(再読)。

日記に読む近代日本〈3〉大正

日記に読む近代日本〈3〉大正

  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文の通り、

日記が、広く国民によって書かれるようになった時代。大正デモクラシー教養主義の風潮のなか、日記は単なる備忘録を超える。原敬吉野作造岸田劉生宮本百合子大宅壮一らの日記に、新時代の息吹を読み解く。

というもの。

 日記は読み方次第だが、とっても面白い、ということがよくわかる。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

植民地へのまなざし

 大正末という時期の朝鮮人は、京城師範学校出身者、将来の教員という立場の者が公刊した『凝視の一年』のなかですら蔑視の対象である。 (213頁)

 村の朝鮮人たちは、日露戦争のときにそうであったように、日本軍からの「奪掠」を恐れ警戒していた。一方の現役兵たちも、相変わらず彼らを「臭い」などと蔑んでいたのだった。 (217頁)

 当時の日本兵の日記から見える「内鮮融和」の実際の姿である。*2
 以上、一ノ瀬俊也「凝視の一年(吉尾勲編)」より。*3

今村明恒と関東大震災

 今村は、地震と火災の危険性をよく認識していた。しかし、この日記から読み取れることは、その今村でさえも地震発生からしばらくの間、火災があれほど大きくなることを予想できていなかったことである。 (240頁)

 火災は予期されず、初動は遅れ、しかも水道管は破裂していた。*4
 火災は延焼し、逃げ遅れた人、安全な場所だった筈の場所に避難していた人も犠牲になったのである。
 ここでいう「今村」とは、地震学者・今村明恒のことである。
 以上、土田宏成「特集 関東大震災の日記」より。

信じ込んでしまうプロセス

 「青年団」という公的組織の伝える情報だということで、藍泉も朝鮮人に対する警戒心を抱き始めた (244頁)

 その後藍泉は冷静さを取り戻し、朝鮮人問題は流言飛蜚語であると思い直し、それらを真に受けて恐怖や憎悪をかき立てられ、朝鮮人殺傷に走る人々を批判的にみるようになるが、藍泉のような教養ある人でさえ、一時はこの有り様であった。  (245頁)

 この銀行家(十五銀行本店・庶務課長)兼俳人・染川藍泉も、青年団の話を信じてしまったのである。*5 *6

 以上、土田上掲より。

 

(未完)

*1:本当は原敬とか宮本百合子とかの日記も取り上げたかったのだが、それはまたいつか。

*2: 本稿の元となった、一ノ瀬俊也「第一次大戦後における一年現役兵教育」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120005748381 )には次のようにある。

意識的であるか否かは別として、朝鮮人に対するなにがしかの差別感・距離感を「日記」に表明している現役兵がいることは興味深い。ある現役兵は外出の際、教生時代の朝鮮人の教え子に声をかけられ、彼が自分を覚えていたこと自体には感動しつつも「朝鮮人でも内地人でも決して教へ子に対する愛に於て変つた事はないのである。いくら汚い朝鮮人でも其愛たるや神聖なものである。〔中略〕自分は有り難い教官殿を戴いて居りながら自分は、只一つとして教官殿を喜ばせた事はない。つまらぬ朝鮮人の子供でも非常に可愛らしい所があるのに。今後の努力を誓ふ」(六月一日、田淵重雄)と言う。建前として「日満鮮の融合」を謳うことはあっても、「汚い」「つまらぬ」と差別感を隠そうとしない態度は、おそらく当時の朝鮮在住の日本人一般の態度であり、彼にとっても自然なことだったのだろう。

*3:なお、『凝視の一年』は、以下の大学図書館に所蔵しているので、興味のある場合はそちらへ。 https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA55208605 

*4:目黒公郎「大正関東地震から80年を経て,地震工学研究の最先端」(https://ci.nii.ac.jp/naid/130000102862 )には、今村が東京に地震が発生すれば、「水道管の被害によって消防活動がうまくいかず,大火災による被害を被ると長年当局にその対策を迫っていた」が、「10年もしないうちに,今村が心配していた関東地震が発生した.そして今村が指摘警告していたように,東京や横浜では大規模な火災が発生し,10 万人を超える犠牲者が出てしまった」とある。

*5:ブログ・『第2考古学』は、記事・「加藤2014『九月、東京の路上で』 [全方位書評]」において次のように指摘をしている(https://2nd-archaeology.blog.ss-blog.jp/2014-04-23 )。

流言飛語によって通常の理性をいとも簡単に失い、暴行に加担し、またすぐさまそれを取り戻す。驚くほどの振幅の激しさ。それは、「憫みの心で迎えているのに」とか「憫んで善導せねばならぬ」といった相手を見下したパターナリズムにその原因があるようだ。

*6:改造社版の『現代日本文学全集 第38巻』によると、藍泉は、清語研究のために清国に滞在した経験があるようだ(462頁)。