「あいつの待遇落とせ」ではなく、「俺たちの待遇上げろ」 斎藤美奈子『それってどうなの主義』(1)

斎藤美奈子『それってどうなの主義』白水社 (2007/02)

本書の内容については、『一本釣り BOOK&CINEMA』様も書評されています。
 本書は、文の集成ですので、その本から何を取り上げたかで、その人の興味なども分るかと思います。ちなみに、先の評者は、次のように書かれています。

「拉致と連行」「空襲と空爆」といった硬い話題から、芸能人の結婚会見で聞く「奥様の手料理」は?、(女なら当たり前なのに)育児をするパパになると「翔んでる男」になる不思議とか、新潟出身の彼女ならではの「桜の咲かない入学式」「雪国はつらいよ」などハっとする視点が書かれている。

では、本ブログも、選んで何か言ってみることにしましょう。

国旗掲揚について■
 国旗掲揚は通常日の出から日没までだし、学校の入学式とかで、校長が登る壇上の壁に張ってある日の丸も、「不敬千万」(15頁)と指摘する著者は、「世界中の国旗・国家(原文ママ)に対するマナーとルールを先に教えたらどうなのか」、「学校に強制する前に、身内である官公庁の旗の揚げ方を見て回ったほうがいいと思うぞ」(16頁)と、ルールもろくに知らない【ホシュ】どもを批判しています。
 間抜けな自称保守など【ホシュ】の一言で十分でしょう。【サヨ】という蔑称もあるわけですし。常識と教養のない自称保守どもは、以後、【ホシュ】と呼ばせていただきましょう。広まることなどないと思いますが。
 ちなみに、国旗掲揚の方法については、「国旗掲揚方法」という頁が、参考になるはずです。こちらも参照

原子力問題について■
 著者は、まず、原子力の事故の場合、その被害が市町村を超えるのに、名前に惑わされ、「対岸」のことに思えてしまう自体を指摘した後、原発に反対する人々への提案として、東海村OO】という名前ではなく、【茨城OO】などと呼ぶことで、より当事者意識を引き起こす戦略を語っています(136頁)。

■公務員バッシングについて■
 「市の職員にスーツ代を支給したといって怒るけど、それを盾にとれば、私企業の営業マンのスーツ台こそ会社が負担しろよ、という理屈だって成り立つ」(103頁)と指摘しています(実際にやってる企業もあります)。著者の言いたいのは、【恵まれてるあいつらの待遇落とせ、ではなく、恵まれてない俺らの待遇引き上げろだっていいはずじゃないか】ということです。
 こんな風なことをやるのは、自分より待遇いいやつを、引きずり降ろそうとすることに比べ、待遇良くないやつらが団結なり協力するなりして、自分らの待遇を引き上げようと努力するより難しいからでしょう。ニーチェルサンチマンの縮小版と見るべきなのでしょうか。
 前項では、名前さえ変われば、結構それにかかわる人の意識も代わるということを述べていました。それを、この話題にも適応しましょう。
 公務員へのバッシングの問題が持ち上がるのは、要するに、公務員を叩いても、自分の待遇は下がりこそすれ上がることはない、という意識が、叩く側に欠けてしまっているからでしょう。少なくとも、叩いているときには、それを忘れてしまうからでしょう。
 公務員と、叩く人々との間に、何か当事者意識を生起させるような(団結してみんなの待遇を上げていくという意識を持たせられるような)、そんな名前はないでしょうか。労働者?国民?市民?どれも難しいかも。
 これには、新しいことばが必要です。正直今のところ思いつきません。国民というのが、一番手っ取り早いのですが、このことばは、「国民」ではない外国人労働者を排除する可能性も秘めています。もっと包摂可能な概念が求められます(、というわけでこれを現在募集中です)。
 もちろん、当事者意識を持てるような、団結意識を持てるようなことばを作ったところで、単純に問題は解決しません。しかし、これは始まりの一歩となるはずです。

(続く)