天皇のリコール権まで入った、憲法草案

■アリスさん「でっかい東北です。」■

 諸外国と比較すると、東北地方の総面積はほぼラトビアリトアニアの面積に匹敵し、オランダやデンマーク、スイスやボスニア・ヘルツェゴビナよりも広いのです。 (某書より引用)

■見た目と違って。■

 (引用者注: イザベラ・)バードは表面上の「未開」と内実の豊かさ・充実を見抜き、黒石から青森へ向かう間も、「人びとの姿もたいそう汚かったが、特に貧困であるという様子はなかった。北海道から魚を運んできたり米を運んで行くための馬や馬子の代金として多額の金を得ているにちがいない」と人々の満ち足りた生活を描写しています。 (某書より引用)

天皇のリコール権まで入った、民権運動時代の憲法草案■

 小田為綱は […] 盛岡藩士の子として生まれ、維新後には藩校作人館で原敬・那珂通世・佐藤昌介らを指導しており、のちに天皇リコール権、普通選挙、人民の抵抗権などを主張した「憲法草稿評林」の筆者と推定されている人物です。 (某書より引用)

■鷹架村とはつまり・・・■

 鷹架村は戸数三〇あまり […] 「平和安穏」の地であり、都会の絶え間ない「鬱悒」とは無縁の世界でした。しかし、 […] 一九七〇年代からの臨海工業地帯建設をめざす、むつ小川原開発計画や一九八〇年代からの核燃料再処理工場計画の中心にあたります。

■八甲田雪中行軍遭難事件への報道の結果・・・■

 遭難事故の背後にあった陸軍首脳部の非人間的な戦術の採用といった問題は隠蔽されていったのです。

■羯南「東北はスコットランドたれ」■

 羯南は東北のもつ歴史的な不遇さと特異さを自覚していたのであり、日本のなかでも固有な位置にあることを承知していました。晩年 […] 『日本』に掲載された「北日本と北英国」は東北とスコットランドの比較論ですが、その不遇さを超克しようとする東北人羯南の叫びがそこに聞こえます。
 […]
 東北はスコットランドたれ、東北人は東北人たることを誇れ、という叫びです。国民主義者・日本主義者といわれる羯南ですが、その根底には中央主導の近代化に踏みにじられた東北人の視点がありました。

■実質の「遅れた地域」になるのは20世紀になってから■

 人口移動を見ても、一八八〇年代・一八九〇年代では東北の人口増加は、全体として全国平均値を上回るか全国平均値前後の増加率で推移しています。東北の可能性が薄らいでくるのは、東京を中心とする国内の陸上交通網が確立し、たびかさなる大凶作でダメージを受ける二〇世紀に入ってからのことです。