「市場原理による選択がまるで働かないように、バナナの生産現場は仕組まれている」 -鶴見良行『バナナと日本人』を読む-

 鶴見良行『バナナと日本人』を久々に読んだ。

 内容は紹介文の通り、

スーパーや八百屋の店頭に並ぶバナナの九割を生産するミンダナオ島。その大農園で何が起きているか。かつて王座にあった台湾、南米産に代わる比国産登場の裏で何が進行したのか。安くて甘いバナナも、ひと皮むけば、そこには多国籍企業の暗躍、農園労働者の貧苦、さらに明治以来の日本と東南アジアの歪んだ関係が鮮やかに浮かび上がる。

というもの。

 名著だが、本題以外の点について微妙なところもあるので、それもふくめて書いていきたい。

 アメリカとフィリピンの大地主との癒着

 占領軍は、日本では農地改革を行ったのに、フィリピンでは大地主を保護し、戦災補償金などを与えている。日本も台湾も米国の指導で農地改革が行われたのに、フィリピンでは行なわれなかった。 (19頁)

 日本もフィリピンも、マッカーサー将軍と戦後を歩んだ。

 戦前から米国資本がフィリピン地主層と結んでいて、農地改革が出来なかったのである。*1

 それどころかマッカーサーは「旧地主たちの援助強化に努力する」こととなった(83頁)。

問題は土地の制度

 不幸にして土地問題は、地主制そのものとしてではなく、異邦人同士の問題として扱われたために、その重要な本質が見失われた (75頁)

 フィリピン人労働者が麻農園の経営や栽培技術を自発的に磨いてゆくためには、地主制が「本質的」な所で解決されていなければならなかったのである。*2

 また、「フィリピン人の麻農園が日本人の農園ほど発展しなかったのは、労働者よりも支配階級の土地所有に関する思想に問題があった」(77頁)。

 例えばサトウキビ農園は、地主の下に管理人という中間職制があり、底辺には親方や請負人が出来高払いの請負で労働者を働かせるという過酷な労働環境であった。

 しかし、知識人や支配階級の政治家たちは、自国社会の苛酷な地主制が農民の生産意欲を削いでいる状態について、何も論じなかったのである。

  フィリピン人の地主が、フィリピン人労働者はそれほど勤勉ではないという自国民軽視の神話にとらわれていたことが、背景にある。

ミンダナオとユダヤ人移住計画

 ミンダナオの土地を利用する自営農家創出は、 (引用者中略) ヒトラーユダヤ人圧殺政策とさえ響きあった。 (80頁)

 50万人のユダヤ政治亡命者の処遇に悩んだルーズベルト大統領は、ユダヤ人2名をフィリピンに派遣し、ドイツ出身とオーストリア出身のユダヤ人1万人が入植できるよう交渉させた。*3

 使節二人が希望したのは、ミンダナオのラナオ湖周辺の土地で、ムスリムのマラナオ族の土地だったという。

 かなり問題含みの土地だったのである。

借金と契約で縛っていくやり方

 市場原理による選択がまるで働かないように、バナナの生産現場は仕組まれている。 (144頁)

 もしどこからでも金が借りられ、バナナ以外にも有利な作物があれば、バナナ契約農家の経済は、現状(当時)のようにはならなかったはずである。

 外資企業が栽培者に対して、市場原理による選択が働かないよう契約を工夫した。

 その結果なのである。

 「企業は、農民、農家を借金という『見えざる鎖』で縛り、バナナ栽培から逃がさないようにした」 (152頁)。

 借金が契約農家を会社につなぎとめる鎖となった。*4

*5

 「元の水田に戻すといっても、その米の作り方さえ忘れてしまったからな」 (164頁)

 借金もなくなり自由な身でありながら、外資契約を更新した農家がいた。

 彼らは、バナナ以外の作物を作る文化さえ奪われてしまったのである。

 モノカルチャー経済が生まれる一要因ではないか。

バターン死の行進について

 日本軍に「捕虜虐殺」の意図はなく、輸送手段がなくて仕方なかった (89頁)

 バターン死の行進について著者は述べている。

 「連合軍はこの事件を宣伝戦に利用し」と、某産経新聞あたりが喜びそうなことも書いているが、著者の言い分に問題があることは、長いので註に書いておく。*6

(未完)

*1:大岡昇平も、「フィリピンを人民の幸福のためではなく、アメリカとフィリピンの地主資本の利益になるように解放することが、マッカーサーの目的だった」と書いている(「レイテ戦記(下)」『大岡昇平全集 第10巻』(筑摩書房、1995年)、176頁)。なお、『レイテ戦記』の初版は1971年に出ている。

*2:梅原弘光「フィリピンの農業商業化と土地制度の変化」(1991年)は、ここ20年間の変化を小作地率の増減で見ると、1960年当時小作地率が高かった中心的農業地域では小作地率が低下傾向にあるが、周辺部では逆に増加傾向だとしている(https://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Books/Sousho/406.html、339頁)。その後が気になる人がいるかもしれないので、やや過去の論文になってしまうが、一応紹介しておく。

*3:フィリピンのミンダナオ島ユダヤ難民を移住させる計画があったこと、その話にメリットがあると考えたフィリピン政府が乗り気だったこと、しかし実現には程遠い案だったことなどについては、丸山直起『太平洋戦争と上海のユダヤ難民』(法政大学出版局、2005年)の58、59、125頁参照。

*4:その契約の実態も随分と酷いものである。詳細は本書を参照。

*5:では近年の、フィリピンにおけるバナナの生産現場はどうなっているのか。市橋秀夫は次のように報告している(「報告1.『バナナと日本人』以後のバナナと日本人を考えるために」https://altertrade.jp/archives/5718 )。

今回の予備調査から得た最も大きな疑問は、ミンダナオ島のバナナ・プランテーションは、鶴見良行氏の『バナナと日本人』が出た 30 年前とは状況が違うにもかかわらず、多くの深刻な問題を抱えたままではないだろうか、という点である。大量の農薬散布、過酷な労働条件、高地森林の破壊、山地水源域の汚染、零細弱小農民の保有農地の巧みな支配――私たち日本人は、その現状についてほとんど情報を持っていない状況にあるのである。

また、多国籍企業がバナナ貿易量の大半を支配している状況は変わっておらず、その手法については、次のように述べている。

多国籍企業は巧みである。土地の所有権が移ったことを見込んで長期契約を申し入れる。X さんの家の周辺には、キャベンディッシュの密集したバナナ・プランテーションが広がっている。X さんの農地は、単一作物化と病害防止のための農薬の大量散布によって疲弊してしまうことになるが、多国籍企業はなんの遠慮もなくプランテーションの拡大を進めている。

*6:南京事件日中戦争 小さな資料集 ゆうのページ』の、「"バターン死の行進"(Ⅵ) 「否定」する側の視点① 現場関係者の証言」という記事(http://yu77799.g1.xrea.com/worldwar2/Bataan/bataan6.html )から、引用しておく。

 (引用者前略) 2.日本軍は、「捕虜の栄養失調状態」「マラリアなど疫病の蔓延」という状況に、全くといっていいほど配慮を行わなかった。「捕虜を人道的に取扱う」という方針が明確にあったのであれば、例えば、行進速度を無理のないものにする、可能な限り食糧を運搬し供給する、という方法も考えられかもしれないが、上層部は「バターン戦」に続く「コレヒドール攻略作戦」でそれどころではなく、また現場は「計画通りの捕虜輸送」に拘るばかりで、結局捕虜にとって過酷な行進が強行された。/3.「計画通りの捕虜輸送」への拘りは過剰ともいえるもので、捕虜が渇きに耐えかねて列を離れることすら許さない例が多数あった。さらに「捕虜への蔑視感」が、現場における捕虜の取扱いを過酷なものにした。 特に脱落者に対しては過酷で、飢えと渇き、疲労マラリアなどのために列を乱す捕虜がいれば、殴打、銃剣を突く、場合によってはそのまま殺してしまう、という「残虐行為」も少なからず見られた。/4.さらに「パンティンガン川の虐殺」のような、400名規模の捕虜集団虐殺事件も発生した。/5.やっとのことで到着したオドンネル収容所は、水不足・食糧不足・衛生材料不足という捕虜にとっては最悪の環境 で、万を超える多数の死者が発生した。/※念のためですが、既に触れてきた通り、日本軍の捕虜取扱方針は事実上「現場任せ」になっていましたので、「楽な行進」を経験した捕虜も多数存在しました。しかしそのような「幸運な」捕虜の存在を強調したところで、上に触れたような「日本軍の責任」は帳消しにはなりません。/ 2-5さえなければ、状況から推してある程度の「悲劇」は免れなかったとしても、ここまで「バターン死の行進」が問題にされることはなかったでしょう。日本軍の失態、と言わざるをえません。

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