「二〇一八年」以降も先の見えない日本の原子力政策、その歴史をさかのぼる。 -太田昌克『日米〈核〉同盟』を読む-

 太田昌克『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』を読んだ。(*再読) 

日米〈核〉同盟――原爆、核の傘、フクシマ (岩波新書)

日米〈核〉同盟――原爆、核の傘、フクシマ (岩波新書)

 

 内容は、紹介文の通り、

広島、長崎、ビキニ、そして福島。四度の国民的被爆/被ばくを被りながら、なぜ日本は、アメリカの「核の傘」を絶対視して核廃絶に踏み出すことなく、また核燃サイクルをはじめとする原子力神話に固執し続けるのか―。日米の膨大な公文書と関係者への取材を駆使して、核の軛につながれた同盟の実態を描く、息詰まるノンフィクション

というもの。
 2014年の本だが、日米関係における核問題において、おさらいをするには十分すぎる内容である。

 以下、特に面白かったところだけ。

立派な密約でした。

 「広義の密約」を唱えた外務省有識者委員会の「定説」は、この秘密所管の存在発覚によって、もろくも崩れ去った (60頁)

 密約とは、米軍核搭載艦船の日本領海への通過・寄港を容認した核密約のことである。
 そして、その密約を、当時の岸信介首相と藤山外相が明確に理解していたのである。
 リッチーとフィアリーとの(米国側の)書簡がやり取りされていて、そこで発覚した。*1
 フィアリーの方が、安保改定時に、米大使館に勤務して対日交渉でマッカーサー(2世)大使を補佐していた。
 彼は、日本政府側は最初から米国側の意図を知っていた、と明言している。
 安保改定を主導した日本政権中枢が、「機密討論記録」の密約性を認識していた証拠である。
 この証拠は、黒崎輝教授が2010年に米国公文書館で発見して大田に提供したもの。
 立派な密約だったのである。
 大事なことなので、十年以上前のことだけど、今年も忘れないようにしよう。

非核三原則はナンセンス」

 未解禁公文書によると、そんな佐藤は六九年一月、離任間際のアレキシス・ジョンソン駐日米大使の面前で「非核三原則はナンセンス」と発言 (103頁)

 わりと有名な話ではあるが。*2
 佐藤政権下では独自核武装の研究も行われていた。*3

NCND政策

 NCND政策があろうがなかろうが、潜在敵国は自らのインテリジェンスを駆使しして米国の核戦力の所在をある程度把握しているという真理 (124頁)

 1974年の、屈指の核戦略家であり歴代米国政府で高官を務めたモートン・ハルペリンの証言である。
 ハルペリンは引用部の通り指摘した。*4
 彼によると、核戦略上の必要性よりも、核配備に拒否反応を示す同盟国の世論対策のためにNCND政策が必要だったと暴露している。
 NCND政策とは、「核兵器の存在について肯定も否定もしない政策」を指す。
 まあ確かに、「潜在敵国」は、どうせ知ってた(ている)だろうな。

再処理は「国策」

 民の側に「再処理を自ら行わざるを得ないよう官に仕向けられた」との思いが生まれるのも無理はなく (196頁)

 原子炉等規制法の下では、電力会社は使用済み核燃料を再処理する計画を明示しなくてはならない。 でないと新しい炉の建設許可を得ることもままならない。
 だから、電力会社は炉の新設許可を役所に申し立てる時、国内外どこかで再処理を行うことで、「ごみ」対策にめどをつける方針を示してきた。
 再処理は事実的に、国策なのである。*5

「二〇一八年問題」は継続中

 日本のいわゆる原子力ムラで意識され始めたのが、この「二〇一八年問題」 (238頁)

 米国が自分たちの輸出した核燃料や濃縮ウラン(米国産)で製造された核燃料の再処理を認めているのは、ユートラム(欧州原子力共同体)加盟国と日本である。
 そんな日本だが、この「権利」を保障している日米原子力協定の効力は30年。
 それ以降は、どっちかの国が通告すれば6か月で終了する。
 現在、米国から、日本に保有量の削減を要請され、日本はそれに応じて削減を進めるが、先は見えない情勢である。*6

 

(未完)

*1:2010年に、共同通信が報じている(参照:http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/06/26223245/ )。

米軍核搭載艦船の日本領海への通過・寄港を容認した核密約に関連し、1960年の日米安全保障条約改定時に、藤山愛一郎外相が米国と交わした「秘密議事録」について、岸信介首相と藤山外相が密約だと認識していたことを示す米国務省文書が25日までに見つかった。同議事録には、通過・寄港を日米間の事前協議の対象外としたい米側の意向を反映した条項が盛り込まれており、文書は岸、藤山両氏がこの意味を「明確に理解していた」と記している。

*2: これは、村田良平も述べていたところであり、焦点は「持ち込ませず」にあった。長谷川千秋は、「村田氏は各紙とのインタビューを通じ、『非核 3 原則』そのものを批判し、米核艦船の立ち寄りなどは認めるべきだとの見解をとうとうと語ったのである」とまとめている(「「非核3原則」破壊攻撃の新段階」2009/7/16付 http://hikaku-kyoto.la.coocan.jp/press_check.html )。詳細は、長谷川の記事に詳しい。 

*3:黒崎輝は次のように述べている(「日本核武装研究(一九六八年)とは何だったか:―米国政府の分析との比較の視点から―」https://ci.nii.ac.jp/naid/130005255884 )。

六〇年代後半、日本政府が確固たる政治的意志を持って潜在的核武装能力の保持を追求していたとはいえない。国家安全保障の観点から、原子力開発推進に潜在的核武装能力保持効果を期待する人物が政府内に少なからず存在していた可能性は否定できない。他方で、核燃料サイクルの実現をめざす原子力共同体に、核兵器製造に転用可能なウラン濃縮や再処理といった機微技術の獲得を自制する考えはなかったものの、六〇年代後半の原子力開発の展開を見る限り、国家安全保障の観点から、原子力共同体が潜在的核武装能力の発展に努めていたとは考えにくい。 (引用者中略) 政府内で政治的意志の統一が図られないまま、潜在的核武装能力を保持することになった、というのが「非核」日本の実態ではなかったか。潜在的核武装能力の保持が佐藤内閣の政策になったという説と比較すると、これは原子力開発の実態や先行研究の成果を踏まえた、より説得力のある仮説であると考える

いかにもありそうなことではある。

*4:新原昭治によると、

ハルペリンはその後、1987年刊行の本では、海外からのアメリカの核兵器の全面撤退により、「核兵器の所在を否定も肯定もしない」政策はやめることが可能になると、次のように主張した。「アメリカが核兵器を海外や艦船に貯蔵しないという政策を採択すれば、当然のことながら、基地であろうと船上であろうと核兵器の存在を否定も肯定もしないという政策を放棄することが可能になる。そうなれば、アメリカとニュージーランドを含む多数の同盟国との関係がギクシャクしている原因のひとつを取り除くことができる。」(ハルペリン著『アメリカ新核戦略―ポスト冷戦時代の核理論』筑摩書房

そして、「その後、1991年9月、ブッシュ米大統領は海外からの「大幅な」戦術核兵器の撤去を発表した。しかし、ハルペリンが主張したような、海外配備の核兵器全面撤去とはならなかった。/むしろ、もし一時的に海外から核兵器を引き揚げても、再び元に戻して「再配備」する態勢がとられた」という顛末である(以上、ブログ・「きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影」の記事https://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/8e05c5ebc97b4240c9373e2876dcf0c9 から引用を行った。「非核「神戸方式」とこれからの日本・アジア」と題する講演レジュメを転載したものという。)。

 なお、先のハルペリン著からの引用は、179頁からのものであることが確認できる(ただしその著者名は「ハルペリン」ではなく、「ハルパリン」表記であることに注意が必要。)。

*5:田窪雅文とフランク・フォンヒッペルは、以下のように書いている(「プルトニウムの分離を終わらせる 日本の使用済み燃料管理のもう一つのアプローチ」http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/academic/August2013_japanese.pdf )。

日本の再処理の軛は、発電用原子炉の建設許可の申請において、「使用済み燃料の処分の方法」について明示するよう定めた原子炉等規制法を使って 1960 年代から形成された。同法は「原子力の開発、利用の計画的な遂行に支障を及ぼすおそれがないこと」を許可の条件としている。政府の原子力利用長期計画は、日本における「原子力の開発、利用」は再処理を必要とすると明記している。こうして、再処理は、電力会社にとって義務となったのである。

*6:「日本のプルトニウム減少、米が大量保有に懸念」という記事(https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00543/ )によると、

米国は18年7月の日米原子力協定延長に際し、日本に保有量の削減に努めるよう要請。日本政府は当時の保有量約47トンを上限に削減を進める方針を決定した。

ただし、

ただ、この削減方針を徹底するのは容易ではない。東京電力福島原発事故後、原発再稼働のハードルは高くなり、プルトニウム消費を急激に増やすのは難しい。保有量増加につながるMOX燃料への加工も抑制せざるを得ないが、その場合は、原発利用後の使用済み核燃料がたまっていく恐れがある。

どのみち日本の原子力政策は先が見えない。

「京都は観光の街ではない」という話から、「『育てる』というえらそうな物言い」の話まで -鷲田清一『京都の平熱』を読む-

 鷲田清一『京都の平熱』のオリジナル版(2007年)を読んだ。*1  

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

 

 内容は、

〈聖〉〈性〉〈学〉〈遊〉が入れ子となって都市の記憶を溜めこんだ路線、京都市バス206番に乗った哲学者の温かな視線は、生まれ育った街の陰と襞を追い、「平熱の京都」を描き出す。

 という内容。
 京都市バス206番という「洛中」を、京都生まれの著者が自身の哲学・思想と絡ませつつ、論じている。

 以下、特に面白かったところだけ。

何のためのルールなのか

 <信頼>という規則遵守の条件となるものを生徒が問うているのに、校長は「手続きは間違っていなかった」というふうに規則遵守のレベルであいもかわらず問題を受けとめていた。 (145頁)

 教育に大事なことは、規則が成り立つ「条件」を学ぶことだ。
 しかし、この場合、校長にとっては、話し合いとは、それを如何に切り抜けるか、という観点から発想されている。
 本文にあるように「この国の予算審議に見られるような」話なのである。*2
 (これがいったい何の話題なのかは、実際に本書を読んで確かめていただきたい。)

敬語と他者感覚

 家族のことでも他者のこととして言及する、その距離感 (156頁)

 息子が十代の終わりに、東京の大学に進学して、家族のことを語るのに敬語を使って顰蹙を買ったというエピソードが出てくる。
 それに対して、著者の言葉がこうである。
 家族のことでも他者として言及する距離感の方が、身内を貶めてという村意識よりはるかに近代的であり個人主義的だと思う、とのことである。
 これは間違っていないかもしれない。*3
 少なくとも、都会的かもしれない。

都市と身体

 都市とはそれぞれがじぶんで「書く」ものなのである。 (164頁)

 人が慣れた道に迷うことがないのは、目印になる建物から目的地までの光景を体が覚えているからだ。
 景観というのは、「景色のめくれ」という形で、身に刻まれるものであって、単に視覚的に感得されるのではない。
 いかにも、メルロ=ポンティの本を書いている著者らしい発言である。*4

京都と産業

 京都は観光の街ではない。 (191頁)

 京都の観光が占める収入は総収入の一割程度であり、実は典型的な内陸型の工業都市である。*5
 今でも電気機器や輸送用機器が製造用品出荷量の一位と二位を占める(当時)。*6
 世界で二番目の水力発電を作ったのも京都である。*7
 京都を代表する企業、京セラ、オムロン村田製作所*8島津製作所任天堂にワコール、と名だたる企業が存在する。

「育てる」というえらそうな物言い

 じぶん自身をもてあまし、扱いあぐねているおとなに、「育てる」というえらそうな物言いがほんとうにできるのか (216頁)

 育てる、という言葉には、どこか上から目線の感じが付きまとう。
 「青少年の育成」ということを語るごとに、大人たちは、自分のうちに抱え込んだ渇きやもがきなどを隠している。
 むしろ「育つ」という自動詞のほうが、抵抗が少ない。*9

 

(未完)

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*1:なので、頁数は、こちらの方であって、学術文庫版の方ではないので、あしからず。

*2:比較的最近の事例でいえば、「桜を見る会」事件等に対する、瀬畑源(敬称略)の

彼らは公文書管理法の捨てるルールの部分を非常にうまく使い、隠蔽しました。しかし、合法的であれば何でもいいわけではありません。公文書管理法は、捨てるための法律ではないのです

という言葉が想起される(引用は、こちらのツイートhttps://twitter.com/mu0283/status/1213935548974256128 に依った。)。何のための法でありルールなのか、というところが根本である。でなければ、<信>を損なう。

*3: ただし、滝浦真人は次のように述べている(「ポライトネスから見た敬語,敬語から見たポライトネス : その語用論的相対性をめぐって」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009570204 、26頁)。

典型的には「隣の赤ちゃん,よう笑わハルわ/笑いヤルわ」のように使われる.ハル「敬語」と呼ばれるが,忌避的な意味での敬語ではないため,対象が話し手にとって“ウチ”的であることの共感的マーカーと考えた方がよい (引用者中略) ハルは大阪にもあり,関西共通語的な言葉として軽い敬意を表すと言われる.しかしこの場合でも,忌避的な(“ソト”のマーカーとしての)レル・ラレルとは異なり,“ウチ”的なニュアンスを帯びている.

このように、関西弁で「敬語」とみられる他のものも、ポライトネス理論における、「遠隔化」(尊敬/疎外)と「近接化」(親しみ/軽卑)のうち、後者に近いとみるべきものがあるかもしれない。「お父はん」などは、滝浦のいう「共感的マーカー」であろう。

*4:メルロ=ポンティの思想の到達点について、川瀬智之は次のように述べる(「メルロ=ポンティにおける〈存在〉の構造―「奥行き」と「同時性」の概念の展開を手がかりに―(要旨) 」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/612.html )。

著作『見えるものと見えないもの』では、見る者も、見えるものの背後の「奥行き」のうちに含まれると言われる。 (引用者中略) 晩年の思想においては、身体は、「奥行き」に含まれるものとなる。これは、身体を起点として「奥行き」を考えていた『知覚の現象学』とは、身体の位置付けという点において大きく異なる思考である。

 最終的に、身体自体もまた「奥行き」のうちに含まれるという、「意識の哲学からの脱却」が見えてくるのである。

 もちろん、身体というのは、たんに都合のいい存在ではないことは、米村まろかが、以下のように述べるとおりである(「肉の隠喩と教育(コメント論文,近代教育学の脱構築に向けて」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009926848 )。

メルロ=ポンティの言う「身体性」、あるいは「肉」とは、それほど便利で教える者にとって都合のよい、予定調和の概念ではない。特に「肉」の概念は、裂開、「交叉配列」(転換可能性)や「否定性」の問題と結びついており、ある種の失敗や断絶を含んだ概念である。 (引用者中略) それは交感の可能性であると同時に不可能性でもある。

*5:京都市民の総収入のうちで、観光関係収入は一割程度というネタは、起源をさかのぼると、梅棹忠夫までさかのぼることができる(「京都の精神」『梅棹忠夫著作集17』、238頁)。ただし、梅棹のいう「観光関係収入」は、旅館や交通、飲食店といったものの全部を指していることは注意すべきである。

 参考までにいうと、「京都市市民経済計算 経済活動別の市内総生産(名目値)」のうち、「宿泊・飲食・サービス業」は3.8%程度である(「とうけいでみるきょうと」2018年版、https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Publish/Booklet/2018/2018.pdf )。あくまで参考程度のデータでしかないが、現在でも「京都の観光が占める収入は総収入の一割程度」云々は、変わっていなさそうであることは推し量れるだろう。

*6:京都市の経済 2018年版」の統計データ(xlsx)の「表Ⅱ-3-1-6 京都市の製造業の業種別構成比」の項目を見る限り、2018年度の製造品出荷額は、「飲料・たばこ・飼料」が第一位、「電子部品・デバイス・電子回路」が第二位、「電気機械器具」が第三位である(参照URL:https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000247192.html )。

 「飲料・たばこ・飼料」が全体に対する構成比で3割をマークしている。同じく2018年版の「表Ⅱ-3-2-2 京都市の食料品・飲料等製造業の主な産業(細分類)別事業所数、従業者数、製造品出荷額等」の項目をみると、「たばこ製造業(葉たばこ処理業を除く)」が、「飲料・たばこ・飼料」の結構な割合を占めている。JTの関西工場(伏見)がそれであろうか。 

*7:田中宏によると、実情は以下のとおりである( 「発電用水車の技術発展の系統化調査」 http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/report2.htmlのPDF資料より。 )。

1882年にニューヨークで世界初の水力発電が始まった。日本ではその6年後の1888(明治21)年に宮城紡績会社が仙台市の近くの三居沢にあった紡績工場の動力用水車に三吉電機工場製の5kW直流発電機を取り付けて水力発電を行なったのが最初と言われている。/その後1891(明治24)年には琵琶湖疏水事業に併せて蹴上発電所が建設され、日本で始めての事業用水力発電が始まった。

「世界で二番目の水力発電」の実情は、このような感じである。

*8:村田製作所は、創業は京都市であるが、現在の本社は長岡京市である。以下のURLを参照。https://www.murata.com/ja-jp/about/company/factsandfigures 

*9:鷲田自身は別の機会の講演で、次のように述べている(「コリア国際学園後援会の集いでの、基調講演
http://www.fujisportsclub.jp/pdf/20120918.pdf )。

私は「教育とは、教え育てるという他動詞で考えるものではなく、そこにいればこどもが勝手に育つような場所とか空間を作ること」が教育だと思います。何かを教えるとか何かを育てるというよりもむしろ、そこにいればこどもがいれば勝手に育ってしまうような場所、空間を作ることが、教育」だとかねがね考えてきました。

 あと、重要なことを、ふたつほど、引用しておく。

しかし学校というところだけ、逆の質問をするんです。知っている人が、知らない人に質問するというへんてこなことをやっている。要するにこれは、質問という形をとった「試し」、人を試しているんです。

また、

大人がいろんな考えの対立、多様性というものを子供にメニューとして見せてやる。俺はこう考える。俺はこういう風に生きてきた。というその大人が生き方の多様性というのを、見えるようにしてあげる。ということが大事なんじゃないかと

鷲田の教育論として特に重要そうなところを抜き出してみた。引用された事例については、いろいろ思うところもなくはないが、基本的にその言わんとするところには同意したい。

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「貧しい人を助けようとすると聖人扱いされ、彼らがなぜ貧しいのかを説明しようとすると (中略) 」。あと、「毎日残業するのはいけません」 -レノレ『出る杭はうたれる』再読-

 アンドレ・レノレ『出る杭はうたれる』を読んだ(これで三読くらいか)。

 内容は紹介文の通り、

ひとりのカトリック司祭が1970年の夏、日本に赴任、川崎の建設現場ではたらきはじめた、以来20年、労働者たちは“フランス語のうまい”ガイジンに次第に親しんでいく。そして労災、組合結成…。零細下請け企業で12年間はたらいた経験をもとに日本の労働現場と社会をみつめた最初の日本人論。

である。
 仏国のカトリックの労働司祭から見ると、日本はこう見えるのだな、というのがわかる本。

 以下、特に面白かったところだけ。

「外」を見ろ

 有給休暇はきちんととり、自由時間は自分でつかって、教養を高め、旅行をし、世界に目をひらき、情報を交換しあうことが大切です。 (xiii頁)

 既にこの時から言われていたのである(この本が最初に出たのは1994年)。
 そして余暇を使って、物を読んだり書いたり、教養を深めたり、社会活動にとりくんだりすることを、著者は推奨していた(242頁)。*1 

 毎日残業するのはいけません。 (75頁)

 彼はその理由を以下のように述べる。
 子供の教育が母親一人の責任になってしまう。*2
 世界で何が起こっているのか関心も持てなくなる。
 残業は他の人から労働を奪う。
 残業をあてにしていると、悪循環になり、八時間の労働に対する正当な賃金が要求できなくなったりするだけ。
 ぐうの音も出ないくらいの正論である。

なぜ貧しいのかを説明しようとすると、共産主義者扱いされる

 日本でも、世間一般の考えによれば、司祭は社会の不正に無関心のままでいなければならない。それにかかわりをもつようでは、司祭は万人に奉仕するという立場を失うというのである。 (5頁)

 著者はその見解を批判する。
 それにかかわりを持たないようでは、誰にも奉仕しないことになる。
 権力者や金持ちに反省を迫ることもできなくなる。
 ヘルデル・カーマラ(エルデル・カマラ)曰く、貧しい人を助けようとすると聖人扱いされ、彼らがなぜ貧しいのかを説明しようとすると、共産主義者扱いされる。*3

 この「司祭」を、「ミュージシャン(やアーティスト等)」に換言したりすることも、可能と思われる。

なぜ給料を秘密にしあうのか

 こんなふうに、自分の給料を秘密にしあう習慣こそが労働者の連帯にとって最大の障害になっていることはまちがいない。 (87頁)

 従業員を家族だと述べる企業、そしてそこで働く従業員は、なぜ給与額を秘密にしているのだろうか。*4
 もし家族だというのなら、当然給与額はお互い知っているべきではないのか。

キリスト教は生き方

 キリスト教というのはイエス・キリストを信じ、それを土台にして生きていく、その生き方にほかならない。 (104頁)

 病気がよくなるなど約束するのは、インチキである。
 キリスト教徒の共同体が一人一人の良い生き方の支えになり、それぞれはできる範囲で共同体のために何かする。
 決して寄付を強制することはしない、と。
 この点は、やはりマルクス主義に似ているような気がする(本書でも言及されているが)。*5

テレビはかれらの姿を映しだそうともしない

 素手で戦車をとりかこみ、塹壕にこもったラモスやエンリレをまもったのはフィリピンの民衆です。なのに、テレビはかれらの姿を映しだそうともしない。 (105頁)

 ニュースでは、金持ち(大統領夫人等)の贅沢ばかりが、当時、取り上げられていたのである。
 引用部は、当時のエンリレ国防相やラモス参謀長といった軍高官が、籠城した件を述べている。*6

ストをやらない組合と社会

 中小企業で働いている共産党員のほとんどは、自分が党員だとばれるのをとてもおそれている。 (152頁)

 著者は、日本の大企業/中小(零細含む)企業の二重構造にも当然目がいっている。
 中小に対して、大企業で働く共産党員の場合はがっちりとしたグループをつくっている。

 もし不当な配転や移動にあえば、裁判に訴えて勝利する。

 一応有能な弁護士もついている。

 しかし、民間企業の労働者の間では必ずしも評判は良くないという。

 共産党員は政治闘争にばかり熱心で、組合闘争をなおざりにしがちだからで、国政選挙の時は特にその傾向が強い、と著者は述べている。

 著者の不満は、組合闘争、とくにストをやらないことに向けられている。
 これが著者のみた、日本の1980年代*7の労働現場である。*8 *9

 ただし著者はそのあとに、日本ではストライキが忌避されており、共産党の活動家も戦う姿勢がどうしても弱くなり、その結果、御用組合の内部で役員の一角に食い込むのが精いっぱいなのだ、とも書いている。

銀行を突け

 組合活動家の考えによれば、日本の社会ではお金がすべてということになっており、したがって問題企業とされる銀行のまえでひとさわぎするのは一段と効果的なのだそうだ。 (176頁)

 実際それは圧力をかけるうえで有効な手段である。
 銀行は信頼性と正確な業務というイメージを大事にしており、まずいからだ。*10

自制心を養う

 かれが選んだのは自分が生まれたパリ第十八区で非行少年とともにいきることだった。 (255頁)

 解説より。
 彼が司祭になってしたことは、数人でチームを組んで地域に入りスポーツ活動を始めることだった。 サッカーなどではなく、パラシュートや崖上り等の自制心を必要とするもの。
 生半可なスポーツでは、青少年のうっ屈とした心情とエネルギーに打ち勝てないと判断したためであるようだ。*11

 また、週末には若者を連れて地方へ出かけてそうしたスポーツをしたり、夏には家が貧しい若者たちを連れてバス旅行(行先は海外だったりもした)に出かけたりもしたという。

 なお、パリ18区は、モンマルトルの丘のある区である。


(未完)

*1:百木漠は、マルクス『経済学批判要綱』の自由時間論について、次のように分かりやすく要約している(「アーレントマルクス「誤読」をめぐる一考察 : 労働・政治・余暇」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005465888 )。

「資本の偉大な文明化作用」によって労働生産性が向上し、必要労働時間が短縮され、自由時間が増大する。そうして生み出された自由時間において、諸個人が能力と個性を全面開花させる「高度な活動」に取り組むことができるようになる

*2:もちろんこの事例では、フルタイムで働く男性労働者と専業主婦の核家族であることが、前提となっていることに、注意が必要であるが。

*3:日本では、エルデル・カマラの名で知られる人物である。
 当該の言葉は、英語では "When I give food to the poor, they call me a saint. When I ask why they are poor, they call me a communist." となるので、厳密には、少し内容は異なる。意味は大体一緒だが。
 原文(ポルトガル語)では、 "Quando dou comida aos pobres, me chamam de santo. Quando pergunto porque eles sao pobres, chamam-me de comunista." とされている。1999年に出た、 Zildo Rocha の Helder, o dom: uma vida que marcou os rumos da Igreja no Brasil という本に、その言葉は載っているようである。ただ、その本にも、いつ彼がこの発言をおこなったのかまでは、記載がなさそうである。

 英語訳のほうは、1980年代に既に、書籍等に載っているようなのだが。例えば、日本でも、David Piachaud の Poverty and The Role of Social and Economic Policy という論文にその言葉は見られる(この論文が掲載されたのは、「北海道大學教育學部紀要」である。https://ci.nii.ac.jp/naid/120000971402 )。

*4:米国の場合、次のように考えられるという(「同僚と給与の話をするのは禁止? 注意が必要な「企業通告」のいろいろ」https://www.lifehacker.jp/2014/08/140806office_falsehoods.html より)。

企業はしばしば従業員に対し、お互いに給与について話すのは禁止だと通告します。でもこれは、米国労働関係法に完全に違反する行為です。同法には、雇用主は従業員どうしが賃金について話すことを禁止してはならない、という条項があるのです。

もちろん、日本でも、給与についての会話を従業員に禁じることは難しいであろう(給与明細が通常、企業秘密情報に当たらない点については、社労士からも肯定されている。「社員が給与明細を紛失したときの対応について:専門家の回答は?」https://www.manegy.com/news/detail/1931 を参照。)。

*5:マルクスの主張において該当するのは、以下の文である。

共産主義社会のより高度の段階で,すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり,それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち,労働がたんに生活のための手段であるだけでなく,労働そのものが第一の生命欲求となったのち,諸個人の全面的な発展に伴って,また彼らの生産力も増大し,共同的富のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになったのち――そのときはじめてブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏みこえることができ,社会はその旗の上にこう書くことができる――各人はその能力に応じて,各人にはその必要に応じて!

『ゴータ綱領批判』の一文である。これは、「共産主義社会における高度な活動としての労働」、という高次段階の社会における労働である。細かい点は違うのだが、やはり、似てはいる。
 ただし、松井暁は、

今日の科学技術の到達と自然環境問題の現状を考慮するならば,生産量の増大は資本主義社会が終焉する時点で既に共産主義社会を実現するのに十分な次元に達しており,しかも自然環境問題を悪化させるに及んでいる。よってさらなる生産量の増大は不要かつ不適切であると考えてよかろう。とすれば,共産主義社会では必然性に規定された労働 L5  (引用者注:「共産主義社会における高度な活動としての労働」のこと) は無くすべきであることになる

という考えを披露している。今は環境問題も、考慮に入れなければならない時代である。

 以上すべて、松井「人間本質としての労働と『資本論』における『労働日の短縮』」(http://marxinthe21stcentury.jspe.gr.jp/wp-content/uploads/2017/08/matsui_j.pdf )より引用・参照を行った。)。

*6: エンリケとラモスが決起するまでの反マルコス運動の様相については、片山裕「1986年2月16日のコーリー」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110000200397 )を参照。当時の現地の様子がよくわかるので、ぜひ。

*7:著者の言及した日本共産党議席数(「二十七」議席と言及されている)からすると、これは1980年代のものである。

*8: ここらへんの背景には、1970年代以降の日本共産党の躍進等をも、考慮する必要があるだろう。1972年の衆院選での野党第二党への躍進、1975年の大阪府知事選挙での黒田府知事再選等を例として挙げることができる。今では信じにくいことだが、けっこう共産党がイケイケだった時代もあるのである。

 1980年の村岡到『スターリン主義批判の現段階』は

六〇年安保闘争から数えてもすでに二〇年が経っている。この間委、日本共産党は四万人から四〇万人に党員を十倍増させ

と述べている(小泉義之「資料「1968 年以後の共産党――革命と改良の間で」 」https://www.r-gscefs.jp/wp-content/uploads/2018/05/%EF%BC%92%E4%BA%BA%E6%96%87%E7%A0%94%E9%85%8D%E5%B8%83%E8%B3%87%E6%96%991968%E5%B9%B4%E4%BB%A5%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A.pdf から孫引きを行ったことをお断りしておく。)。村岡のような新左翼に属する人物も、当時の共産党の勢いを認めていたのである。あとに続く、「労働運動の戦線には宮本・不破路線にはすぐには従わない〝自立的傾向〟が存在する」という話も興味深いのだが、今回はおいておく。

 著者・レノレは、27議席しかない、という日本共産党の立場の弱さに着目しているが、むしろ、日本共産党の路線変更、すなわち、宮本顕治の「自主独立」路線の影響をこそ、考慮すべきであろうと思う。その路線から言えば、ストを控えざるを得なかったのだろう、と。(宮本顕治の「自主独立」路線については、紙屋研究所の手になる記事・「宮本顕治君のこと」http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/miyamotokenji.htmlを参照。) 

*9:いちおう、70、80年代の活動についての日共側の主張も、紹介しておく。「日本社会党・総評時代の日本共産党労働組合運動の政策と活動について : 1970~80年代の総評との関係を中心に : 梁田政方氏に聞く : 証言 戦後社会党・総評史」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11190844/1 

*10:

あとは、退職金の組合分をどこからどうしているとかなるわけです。残されている金目のもの全てが抵当で銀行に抑えられているわけですから、要は銀行にどれだけ損してもらうかしかないんですね。・・・/それを取るために何をしたか。みんなに10円持ってきてくれと言っておきました。メインバンクは某銀行でした。みんなを並ばせたんですよ。70名くらい組合員がいました。10円で通帳を作りに並ばせて、その本店に他のお客さんの相手をすることが一切できない状態にしました。

銀行相手には、これくらいしないといけない。ただし、これは、社長がトンズラした会社において、残された従業員たちが起こした行動なのだが。
 上に掲げたのは、『二宮誠オーラルヒストリー』からの引用である(ブログ・「hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)」の記事http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/h-7bb6.html からの孫引きとなる事をお断りしておく)。そのあとに出た、二宮誠の著作にも、このエピソードは出てくるはずである。

*11:あるウェブニュースによると、

スポーツスカイダイビング中の事故になると、数年に一度、起こるか起こらないかのレベルだ。事故率は低く、15万回に1回の死者のため、他のスポーツに比べたら少ないと言える。だが、事故が起こったらほぼ確実に死亡するため、リスクは高いスポーツとなる。

とのことである(「スカイダイビングやバンジーはリスクありすぎるのか。事故死は15万人に1回」https://news.livedoor.com/article/detail/10967593/ )。
 「Your Chances of Dying & Other Health Risks」というサイトを見る限りでは、アメフトよりもスカイダイビングの方が安全そうではある(https://www.besthealthdegrees.com/health-risks/ )。とりあえず、リスクが低い割に、事故が起きた場合の死亡率は、高いスポーツとは言えるだろう。

サブタイトルは釣り気味ではあるが、しかし、中身は問題ない。 -今拓海『ローリング・ストーンズ』を読む-

 今拓海『ローリング・ストーンズ』を読んだ。(厳密には再読) 

 内容は、紹介文の通り、

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の「フラッシュ」の本当の意味は「核爆発」?「アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション」のタイトルには、ミック・ジャガーの黒人文化への深いオマージュが込められていた…etc.ストーンズ世界の背後の、「既成概念」「精神風土」「宗教問題」を明らかにする。中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)との特別対談「ストーンズは何と闘ってきたのか?」も収録。

という内容。
 サブタイトルの「『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』の聴き方が変わる本」というのは釣り気味ではあるが、しかし、中身は問題なし。

 以下、特に面白かったところだけ。

リヴァプールアメリカ音楽

 そのなかにはジャズやリズム&ブルースのレコードを持ち帰ってくる人も少なくなかった。 (29頁)

 リヴァプールは、米国から多くの輸入物が届いた。
 エレキギターも来た。
 ロンドンではまだ手に入らないモノばかりである。
 こうしてリヴァプールでは、ロックやジャズなど米国文化が多く届き、バンド結成をする人が多く出る。*1
 そして、米兵が駐留するハンブルクのクラブで演奏の仕事を獲得したのが、ビートルズであった。
 まあ、ストーンズに、リヴァプール出身の人はいないが。*2

英国とマリファナ

 ところがなかには移民の際に約束されていた仕事に就けなかった者もいて、彼らがマリファナの密売を始めた (124頁)

 マリファナは、英国ではなかなか手に入らなかった。
 ところが、50年代後半から流入したジャマイカからの移民(多くはロンドンのブリクストンに住んだ) *3 が、マリファナの密売を始めた。*4
 背景は引用部のとおりである。

流れを変えた「タイムス」の記事

 ところが、この裁判結果に保守系の高級紙といわれる「タイムス」紙が、反論の社説を載せた。 (135頁)

 ストーンズの薬物裁判の件である。*5
 タイムズ*6紙は、通常なら執行猶予なのに、はるかに厳しい裁判判決が下されたことに疑問を投げかけた。
 ストーンズだからそんな結果にしたのはおかしいと。
 そうして世論の風向きが変わったのである。*7

英国のMDMA対策

 逆にMDMAに関する情報を次から次へと公開した。 (220頁)

 ストーンズの話題から外れて、90年代の英国のドラッグ事情のお話である。
 あのイギリス人ですらMDMA*8でうっすらとした幸福感と誰でも隣にいる人がいとおしくなる、という驚異の薬である。*9
 これも粗悪品が出回ると死者が出始める。
 そこで英国政府は情報を提供し始めた。
 粗悪品の見分け方、飲んだときは換気をよくすること、激しい運動はしないこと、アルコールと併用しないで、水を多く飲むことなど。
 別に国民全体がMDMA漬けになったわけではない。
 むしろ国が情報を広めたことで、粗悪で事故につながるようなMDMAが売れなくなったという。
 善後策としての政策を、英国政府は目指したのだ、と言える。*10

5弦ギターの秘密

 キースは一番低いDの弦をとってしまった (179頁)

 キースの5弦ギターの理由について。
 ボトルネック奏法では、イレギュラーのチューニングにしないと、コードの音にならない。
 そこで、オープンGのチューニングにする。

 すると、低い弦からDGDGBDになる。

 ただ、これだと、Dの音が目立ってしまう。*11

 そこで、5弦にすると、B一つ、D二つ、G二つ、とバランスが取れるのである。*12

 

(未完)

 

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*1:こうしたについては、楠田真「戦後イギリス若者文化再考―「スウィンギン・ロンドン」とその余波―」でも、言及されている(https://ci.nii.ac.jp/naid/500000915567 )。

*2:もちろん、ミックとキースはイングランドの南部・ケント出身で、他のメンバーもイングランド北部出身の者はいない。イアン・スチュワートはスコットランド出身だし。

*3:木村葉子によると、

ロンドンなどイギリスに黒人が一挙に増えるのは,第二次世界大戦後である。空軍で活躍した西インド諸島出身者が,イギリスに定住したことがきっかけであったとも言われる

とのことである(「『移民』か『イギリス国民』か : アレクサンダー・D・グレートのカリプソから読み解く『ウエスト・インディアン』の歴史」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005274010 )。面白い論文なので、ぜひご一読を。

*4:かつては、ジャマイカでもマリファナは違法であり、「1978年9月、ピーター・トッシュ(Peter Tosh)はマリファナ喫煙で逮捕、また警官に暴行を加え、逮捕を拒否し下品な言葉遣いをしたとして容疑をかけられた」(「ダブストアインク」の記事より。https://www.worldreggaenews.com/article.php?category_id=2&article_id=2527 )。

 ジャマイカ大麻の所持・栽培が法改正により、非犯罪化されたのは2015年である。ただし、「この法改正ではアメリカ合衆国のいくつかの州のような完全な合法化ではなく、2オンス(56g)までの所持が5ドルの罰金刑という微罪処分へと変更され、逮捕されることも前科がつくこともなくな」っただけである(「ジャマイカガンジャ大麻)が非犯罪化、ザイオンに一歩近づく」https://buzzap.jp/news/20150416-jamaica-legalize-it/ )。
 ジャマイカマリファナの質は高いことが知られているが、丸山ゴンザレスの取材によると、

しかも、合法になってしまえば堂々と販売できるんだ。これほど歓迎するべき状態があるか?ドラッグってのはアメリカに入ると金と同じような価値がつくんだ。品質とグラム単位で金額が決まる。いまのところ高値なのは希少性があるからさ。マリファナも安い、高いじゃなくて品質で選ぶ時代が来ると思うね

とジャマイカの商売人はコメントしているようだ(「世界で進む「大麻合法化」。裏社会の住人にその実態とホンネを聞いた~丸山ゴンザレス・中南米突撃ルポ!」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48531?page=5 )。恐らく質は今も変わっていないのだろう。

*5:キースは、裁判での自身の発言を次のように振り返っている(「キース・リチャーズ、1967年のドラッグ検挙事件の裁判について語る」https://rockinon.com/news/detail/132215 )。

こういう発言をすると、ろくなことにならないっていうのはわかってたんだけどね。だけど、こういう局面ではね、『うーん、どうしようかな、全部認めて、判事様、申し訳ありませんでした云々って言おうかな』とか、いろいろ考えが巡ってるもんなんだけど、全然悪いことをしたとは思ってなかったから、思ってることを言おうと決めて、『おまえらの矮小な道徳観なんてどうでもいいから』となっちゃったんだよね

すげえな。

*6:日本では「タイムズ」という呼称のほうが一般的である。

*7:英語版Wikipediaの、キース・リチャーズの項目によると、ビル・ワイマンの Rolling With the Stonesに、その記述がある模様である。

 その邦訳によると、タイムズ紙のウィリアム・リーズ=モグの記事には、世論の大きなうねりとなる見解が書かれていた、という(『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ』(小学館、2003年、286頁) )。なお、該当するのは、1967年7月1日付のタイムズの記事であるようだ。

*8:俗称「エクスタシー」のアレである。

*9:あるウェブニュースによると、

規制薬物とされてきた「エクスタシー」(MDMA)だが、心的外傷後ストレス障害PTSD)患者向けの小規模臨床試験の結果が良好で、大規模臨床試験が行われることになった。

とのことである(「「エクスタシー」が米国で大規模臨床試験へ:5年後には処方薬となる可能性も?」https://wired.jp/2016/12/05/late-stage-clinical/ )。ただし、その一方で、記事内でも指摘されているように、MDMAの規制を外そうとする動きに批判的な声も存在している。

*10: 山本奈生は、

イギリスのドラッグ政策は,米国や日本における「ゼロ寛容(zerotolerance)」政策とは異なり,いわゆる「ハームリダクション(harm reduction)」政策に近しい

としている(「イギリスにおけるドラッグ政策と「世論」--カンナビスの分類を巡る政治」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009556689 )。もちろん山本は、各国で「ハームリダクション」政策の様相・程度は異なるとも述べているが。ともあれ、「ドラッグ使用者に対する刑罰の緩和と,医療・福祉制度の拡充が重視される傾向」というのは、本書(今拓海著)の記述に通ずるように思われる。

*11:キース本人は、

いや、だから当時は、このまま6弦の普通のギターをやっててもこれまでやってきたことの繰り返しばかりになりそうで、5弦の開放弦チューニングを知ったら、まったく新しい楽器の弾き方を習得してるような感じになったんだよ。これだとさ……弦は5本あって、音は3つ……あと必要なのは手が2本と馬鹿な奴ひとつだと(笑)

と語っている(「キース・リチャーズ、ガスじいさんの思い出や開放弦奏法の開眼当時について振り返る」https://rockinon.com/news/detail/133058 )。本人は、ライ・クーダーからパクったと述べている。

*12:ウォーキング・ベースをやる場合、オープンGだと六弦がキー音ではないからやりにくいので、六弦を取ったのではないか、という指摘も存在する(鮎川誠&山川健一ローリング・ストーンズが大好きな僕たち』(八曜社、1992年)、36頁)。

この本があれば、下手な自己啓発本はいらないんじゃね、ってなる -ワイズマン『その科学が成功を決める』を読む-

 リチャード・ワイズマン『その科学が成功を決める』(2010年版)を読んだ。

その科学が成功を決める (文春文庫)

その科学が成功を決める (文春文庫)

 

 内容は、

成功する自分をイメージする方法はむしろ逆効果!?子供の知能や才能をほめて育てると、とんでもない結果を招く!?集団での意思決定はリスクの高い決断になる!?巷に溢れる自己啓発法を科学的調査から徹底検証。その真偽を明らかにした上で、すぐに実践できて効果のある自己啓発法を紹介する。これまでの常識を覆す衝撃の一冊

というもの。
 某密林の評では、「 広く浅い雑学集」と、みもふたもない書かれ方をしていたが、まあ、エビデンス付きなので、まあ許されてよいように思う。

 以下、特に面白かったところだけ。

ほかの人のために金を使うほうが幸せ

 自分よりほかの人のためにお金を使うほうがしあわせになれる (34頁)

 科学的にはそうだと、著者は言う。*1
 小さなプレゼントでもよい。
 ほかの人のために使う数ドルは、最高に効果のある投資である。
 現金がないなら、親切な行為を1日に5つ実行すればよい。

トルストイの「名言」

 私たちが人を好きになるのは、相手からしてもらったことのためではなく、自分が相手にしてあげたことのためである (53頁)

 トルストイの言葉であるらしい。*2

 育児等が比較的わかりやすい例であろう。

視点を変えよ

 視点を変えてみることも、新たな解決法を見つけるのに役立つ。 (116頁)

 たとえば「この仕事に大勢の目を向けさせるのは大道芸人が通行人の足を止めさせるようなものだ」と。
 そのようにして、自分の仕事を相対化することが、新たな発見につながる。*3

感謝の効果

 人生の中で自分が感謝することを三つ書き出す (193頁)

 すると、ひと月ほどの間は幸福感が高まるという。
 ただ、追試の結果は芳しくなさそうではあるが。*4

 

(未完)

*1:この手の話題では、大体の場合、Elizabeth Dunnの研究を根拠とすることが多い。その例として、以下も参照。https://www.afpbb.com/articles/-/2369188https://psychmuseum.jp/show_room/for_others/https://psychmuseum.jp/show_room/for_others/

*2: この言葉の出典は、トルストイ戦争と平和』である。プロジェクト・グーテンベルクにある英訳版(http://www.gutenberg.org/ebooks/2600 )だと、

As Sterne says: ‘We don't love people so much for the good they have done us, as for the good we have done them.’

となっている(BOOK ONE: 1805 CHAPTER XXVIII)。マリヤが、セリフの中で、スターンの言葉として紹介している。このスターンとは、英国の作家のローレンス・スターンのこと。『トリストラム・シャンディ』の作者である。

 川端香男里は、

トルストイは、例えばロマン派の文学を不自然と感じとり、その代わりすでに「過去」のものとされていた18世紀のルソー、ヴォルテール、スウィフト、スターンなどに親しみをもったのです。

と解説している(「「人はいかに生きるべきか」の探求」https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/23_w_and_p/guestcolumn.html )。なお、この言葉に戦前の日本人にも着目した人があったようで、その点は、奥野久美子「恒藤恭、芥川龍之介日露戦争 : トルストイの読書体験とあわせて」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110009842479 )を参照。

 なお、スターンのどの文献が元ネタなのかは、現時点では不明である。もしかしたら、そんな元ネタ自体が存在しない可能性もある。ここら辺は、岩波文庫版『戦争と平和』を読んでも書いてなかったので、どなたかご存じないだろうか。

*3: 「この仕事に大勢の目を向けさせるのは大道芸人が通行人の足を止めさせるようなものだ」というのは、「わざ言語」に近いものといえるかもしれない。ブログ・「Thinking Laboratory」は、わざ言語について、

わざ言語は目の前の課題をクリアするためのものでなく、長期的な観点で見た目標達成のためのものだとすれば、その本質は何か。それを一言で言えば、「気づきを得るための媒介」になる

としている(以下のURLを参照。
https://ubukatamasaya.hatenadiary.org/entry/20110717/1310912471  )。

*4: 日本での研究論文によると、

現代においても、感謝を感じることは当人の心理的適応や幸福感と密接に結びついていることが指摘されている。Emmons & McCullough(2003)は、過去 1 週間あるいは毎日、その週(日)に起こった感謝を感じさせた出来事を 5 つ記録させるという介入手続きにより、ポジティブ・ムードや人生に対する肯定的な評価が高められることを報告している。

その一方、「相川・矢田・吉野(2012)は日本の大学生で同様の手続きで追試を行ったが、感謝を記録することの効果を得ていない」(以上、伊藤忠弘「感謝を感じる経験と感謝される経験における感情」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005695265 )。
 また、

セリグマンらの研究では、毎晩寝る前に良いことを3つ書くことを1週間継続するだけで、その後半年間にわたって、幸福度が向上し、抑うつ度が低下する(うつの症状が減る)という結果が出た。

 が、日本での研究では、「エクササイズの結果、TGT 群の肯定的感情の得点がエクササイズ期間の終了直後に上昇したものの、その1ヶ月後には低下し、効果は持続しなかった」(以上、 関沢洋一・吉武尚美「良いことを毎日3つ書くと幸せになれるか?」https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/13j073.html )。
 正直、追試の結果は芳しくない。少なくとも、日本での追試では。

多声音楽は共和制、和声音楽は君主制。(あとそれから、その出典について) -芥川也寸志『音楽の基礎』を読む-

 芥川也寸志『音楽の基礎』を読んだ。 

音楽の基礎 (岩波新書)

音楽の基礎 (岩波新書)

 

 内容は、紹介文の通り、

さらに深く音楽の世界へわけ入るには、音楽の基礎的な規則を知る必要がある。本書は、作曲家としての豊かな体験にもとづいて音楽の基礎を一般向けに解説したユニークな音楽入門。静寂と音との関係から、調性・和声・対位法までを現代音楽や民族音楽を視野に入れつつ詳述する。

というもの。
 古典ではあるが、やはり不朽の名著。
 以下、特に面白かったところだけ。

ピアノの音域は広い

 実際にはオーケストラの全音域よりも、ピアノのもつ音域のほうが広い (7頁)

 みんな逆だと思っているが、実はそうである。*1

音色と倍音(部分音)

 低次の部分音が強い音は、豊かで幅のある音色となり、その反対に高次の部分音がより強い音は、固く鋭い感じの音色となる。奇数番の部分音のみが響き、偶数番が弱いか、ほとんど存在しないときは、少しうつろな感じの音色となる (14頁) 

 この三つの場合を、管楽器で代表させると、それぞれ、ホルン(豊かな音)、オーボエ(ブオーと固い音)、クラリネット(アンニュイな音)の音色に代表されるようだ。*2

インド音楽のリズム

 インドにはターラtalaと呼ばれる複雑なリズム理論がある。 (90頁)

 ラグー、その倍のグル、三倍のブルタ。*3
 それらの組み合わせや細分法で120種類のターラが作られる。
 インドはリズムの天国である。

弦楽四重奏コントラバスがいない理由

 楽器の性能という点でも、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに比していちじるしく落ち、独立した声部として対等に主張することはむずかしい。 (162頁)

 木管セクションでも、フルート属、オーボエ属、クラリネット属、ファゴット属の四声部で成り立つ。
 金管セレクションでも、トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバから成る。(ホルンパートも、ほとんど4本で構成される。)
 だが弦楽四重奏の場合は、コントラバスはいない。
 著者は、性能の問題等を理由に挙げている。*4

共和制と多声音楽

 多声音楽は共和制体にたとえられよう (180頁)

 多声音楽は、どの声部にも同じ権利があり、均整がとれている。
 和声音楽だと、調性を支配する低音の絶対的権威の上に、旋律という第二番目の権威者がいて、ほかの声部は、それらにつき従う。
 低音という君主と旋律という王妃の君臨する立憲君主制体となる。
 まあ、その場合、和声音楽の憲法は何になるのか、という話ではあるが。*5

バッハは最高の練習曲

 指のための最高の練習曲はバッハといわれるのはこのため (185頁)

 フーガの演奏は、常に新しい旋律の登場を示さないといけない。
 特にピアノの場合、右手、左手それぞれに二つか三つの声部を弾かねばならない。*6
 そして、新しい主題の登場をはっきりさせるために、強く弾く指、弱く弾く指の統御が完全でないといけない。
 そういった意味において、バッハは最高の練習曲である。*7

 

(未完)

*1:比較的近年に出た、岩宮眞一郎『図解入門よくわかる最新音響の基本と応用』(秀和システム、2011年)も、コントラバスの低音域からピッコロの高音域まで、ピアノはカバーできることを述べている(当該書67頁)。

 

*2:ブログ・「クラリネットの調べ物」によると、「B♭クラリネットの最低音の周波数毎の音量を解析」すると、「一番左の147Hzのピークが最低音の基音ですが、普通に2倍の294Hzも4倍の588Hzも出ています。まあ、偶数倍音も普通に出ているけどちょっと弱めって感じ」であるらしい(http://ascl.seesaa.net/article/462364501.html )。

*3:カルナータカ音楽(南インド古典音楽)の場合、拍数は、ラグーが4、グルが8、ブルタが12となっている。以上、ブログ・「旋律腺 Raag Gland 北印度古典声楽的世界」http://raaggland.com/?page_id=830 の記事を参照した。

*4:聖光学院管弦楽団」のコラムによると、元々「チェロとコントラバスは同じパートを演奏していた」のだが、「各パート1人の室内楽ではコントラバスはあぶれて(?!)しま」い、結果、コントラバス弦楽四重奏ではお役御免になったようである(「(138) 弦楽四重奏:不公平な編成はなぜ?
http://seiko-phil.org/2013/06/19/201322/ )。なお、「弦楽四重奏の主要な先駆形態」は、「ヴァイオリン2つとチェロ、チェンバロ」であるが、のちに、「チェンバロ(の右手)に代わって、旋律と低音の間を埋めるために使われるようになったのが、ヴィオラ (引用者中略) でも、ヴィオラ1つで和音充填するのはかなり難しい。そのため、ヴァイオリン1は旋律、2はヴィオラとともに伴奏という分業が普通に」なったようである。

*5:小学館版の『昭和文学全集 第9巻』に収録された河上徹太郎「私の詩と真実」によると、次のようになる(415頁)。すなわち、パウル・ベッカーによれば、多音音楽は共和政体であり、一般低音による和声音楽は専制君主政体。やがて一般低音の権威が失われて、二つの中音がソプラノやバスと同じような重要性を帯びてくると、それは立憲君主制になる、と。なので、元ネタはパウル・ベッカーであり、憲法云々は考えなくてもよさそうである。

 なお、大元のパウル・ベッカー(河上徹太郎訳)『西洋音楽史』(河出書房新社、2011年、106,107頁)では、王国(和声音楽)と共和国(多声音楽)は相容れないものであり、和声が対位法的形式を借りたものは立憲王国ではあるが、結局やはり唯一の王である和声が君臨している、と指摘されている。この二つは相いれないもの、というのが、ベッカーの強調する所である。
 それにしても、ベッカーと河上は、政治学者や法学者が怒りそうな(雑な)比喩を使ってるんだな。

*6:ブログ・「”音楽で生きる”ための情報ブログ」は、バッハの音楽について、「そしてこれは「メロディと和音による伴奏」という捉え方で楽することに慣れて飼いならされたブタのような頭からは極めて遠い、野性的というか、本来の音楽なのです!」と評している(https://ameblo.jp/lifeisasong4you/entry-11560156482.html )。つまりバッハは野生の猪なのだろう。

*7:ちなみに、松藤弘之は次のように述べている(「ショパンのピアノ技法から見たショパン・練習曲集(3)」https://ci.nii.ac.jp/naid/110008514406 )。

ショパンの作曲技法の基礎を形作っていたのは,J.S.バッハであったことを見逃してはならない。ショパンに最初の音楽教育を施したヴォイチェフ・ジヴヌィ(1756~1842)は,当時としては例外的なバッハの崇拝者だったので,ショパンは対位法と和声が織り成すバランス感覚や,古典的規律を身につけることができた。レンツによれば,ショパンは演奏会前の2週間は自作を弾かず,もっぱらバッハだけを弾いて演奏の準備としていた。

バッハのピアノはショパンにも強い影響を与えていたのである。

貧困がちゃんと見える社会こそ、成熟した豊かな社会。その通りだ。 -大原悦子『フードバンクという挑戦』を読む-

 大原悦子『フードバンクという挑戦』(のオリジナル版のほう)を読んだ。*1 

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

 

  内容は紹介文の通り、

まだ十分安全に食べられるのに、ラベルの印字ミスや規格に合わないなどの理由で生まれる大量の「食品ロス」。その一方で、たくさんの困窮する人々や食べられない子どもたちがいる。両者をつなぎ、「もったいない」を「ありがとう」に変える、フードバンクという挑戦が日本各地で徐々に広まりつつある。携わる人々の思いと活動の実際、これからの課題をわかりやすく示す。

というもの。
 月日は流れても、やはり読む価値のある一冊。
 以下、特に面白かったところだけ。

貧困が可視化できる社会を

 貧困がちゃんと見える社会こそ、成熟した豊かな社会なのではないでしょうか (27頁)

 2HJ(セカンドハーベスト・ジャパン)の理事である、日本キリスト教団百人町教会の阿蘇敏文牧師の意見である。*2
 貧しい人がひっそりと生きて主張しえない社会が日本である、とも述べている。*3

アメリカではもう作ってる

 スーパーにはありませんよ。私たちの活動のためだけにつくられた商品ですから (58頁)

 アメリカのフードバンク(アメリカズ・セカンドハーベスト)では、すでに一部の商品を買うようになり、作ってもらうところまで進んでいた。*4
 企業が技術改良を重ね、ラベルミスなどが大幅に減った。
 その結果、無駄が出なくなったので、マカロニやツナなどの需要が高いのに寄付が出にくいものは買うしかなくなったのである。*5

援助を求めることの「屈辱感」

 フードバンクの歴史が四〇年以上あるアメリカで、そして、権利意識が高いと思われるアメリカ人にしてこうである (147頁)

 アメリカで食料の援助を求めることは、ほとんどの人にとって想像しうる最も屈辱的な経験の一つだという。
 アメリカのような国でも、やはりそうなのである。*6
 ヨーロッパ諸国等でも、おそらくそうなのだろう。*7

 

(未完)

*1:よって、ページ数は岩波現代文庫版のものではないことを、お断りしておく。

*2:阿蘇敏文牧師は、2010年のNHK教育テレビの番組で、次のように述べている(引用は、以下のウェブページに依拠した。http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-427.htm )。

そこで聞く人間というか、仕える人間というか、下準備をする人間というか、そういうあり方が本当のリーダーなんだ、ということを、そこで学んだような気がするんですよ。ですから百八十度逆転しましたね。みんなの考えを僕が聞いて引き出すというかな。教育の基本というのは引き出すということじゃないですかね。  (引用者中略) そういう質問をすることによって、最初はわぁわぁ手を挙げて答えているのが、だんだんだんだん静かになってきて、ずっと自分の内側を見てきます。で、そのことによって、この絵は何を語ろうとしているのか、という絵と自分とこの絵を通して、何かを語ろうとする絵描きとの出会いが、対話が可能になってくるわけですよね。

リーダーに必要とされる資質、そして、優れた質問法について、語っているように思うので、ここに引用する次第である。

*3:2HJの創設者であるマクジルトン・チャールズは、次のように述べている(「 「日本の貧困対策は、食への危機感が欠けている」 日本初のフードバンク設立者が訴える」 https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/29/charles-mcjilton_n_13880462.html )。

もし私たちが企業にお願いをすれば、企業が上の立場になり、私たちや食べ物をもらう人々が下の立場になってしまう。私たちは『余っているものを、希望する人々に渡せば有効に使えます。お互い助かりますよ』というスタンスでやっています。私たちは非営利のNPO法人ですが、普通のビジネスのように運営したい。企業側に報酬はありません。しかし企業は、社会に貢献したという満足感を得られる。私たちも、恵まれない人を助けるという目的だけではなく『フードバンクという、活動そのものが面白い』と思いながら、楽しんで活動しています

このフェアな精神はとても大切なものだと思うので、ここで引用する次第である。

*4:原田佳子によると、

食品ロスで生活困窮者を救済することは、食品ロスがなければ成り立たない活動となり、食品ロス削減の観点から大きな矛盾を抱え、根本である構造的な問題の解決にならない。また、我が国のFBが年間に取り扱っている食品ロスは、全体の0.1%にも満たない

とあり、そもそも「食品ロスで生活困窮者を救済」ということ自体が、矛盾を抱えてしまうものではあるが、日本の場合、まだその矛盾が露呈するほどの領域には達していない(「わが国のフードバンク活動と地域活性」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006622398 2018年)。

 日本では2018年時点でもまだ、購入したり作ってもらったり、というような段階ではない。もしかしたら購入はしているかもしれないが、作ってもらったり、というのは寡聞にして知らない。

*5:なお、2018年の報道によると、「アメリカ農務省のデータによると、人口1人当たりのツナ缶の消費量は過去30年間で42%減少した。一方、同時期に鮮魚および冷凍魚の消費量は増加している」とのことである(「ミレニアル世代は「ツナ缶」も消滅させた? 開けるのが面倒?」https://www.businessinsider.jp/post-180684 )。
 マカロニは、、、マカロニ・アンド・チーズでも作るのだろうか。。。

*6:その点で、先に紹介したマクジルトン・チャールズは、別のインタビューで次のように応答している(「おなかがすいた日本人の胃袋を支える 元ホームレスの「アメリカ人」」https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20171102-00077252/ )。

チャーリーが出した答えは、ぐるりと回ってシンプルなものになった。隣の席の人がペンを忘れた。「2本あるから、どうぞ」と差し出す。それだ、と。ペンを渡すとき、「これは、この人のためにならないのではないか」とは考えない。「助けてあげる」という大仰さもない。こちらにはあり、あちらにはない。だから渡してあげる。それだけ。ここに食べられる食品がある、あそこに食べ物を必要としている人がいる。「食べられますって。渡しますって。それだけ」。

非常にシンプルで、しかし重要な考え方だと思うので、引用しておく。考え方が、180度ではなく、360度変わる。

*7:参考までに、農林水産省の「海外におけるフードバンク活動の実態及び歴史的・社会的背景等に関する調査」によると、フランスの事例については以下のとおりである(https://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/attach/pdf/161227_8-7.pdf )。

現在 79 のフードバンクがフランスにあり、ヨーロッパで一番フードバンクが多い国となっている。また、ヨーロッパで初めてフードバンクが設立されたのもフランスである。ただし、フランス国内では、炊き出し(室内で食事を提供している)を主に行っている団体である「心のレストラン(Restaurants du Coeur)」の方がフードバンクより規模も大きく、知名度も高い。

「心のレストラン」については、以下の記事が紹介している(「フランスの慈善事業、「心のレストラン」30周年」https://furansu-go.com/restos-du-coeur/ )。